日本におけるプラネタリウムの歴史とは? わかりやすく解説

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日本におけるプラネタリウムの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:36 UTC 版)

「プラネタリウム」記事における「日本におけるプラネタリウムの歴史」の解説

日本最初に設置されプラネタリウムは、1937年大阪市立電気科学館(のちの大阪市立科学館)に設置されたカール・ツァイス・イェーナ社製「ツァイスII型」である。これは、アジア最初に設置されプラネタリウムでもあった。同型1938年有楽町東日天文館設置されたが、1945年戦災焼失した戦後1957年には東京渋谷天文博物館五島プラネタリウムが、1960年には兵庫県明石市明石市立天文科学館が、1962年には名古屋市名古屋市科学館開館した日本国産として最初に開発されプラネタリウムは、1958年に、千代田光学精工(株)(のちのコニカミノルタ)が市井発明家・信岡正典開発したプラネタリウム甲子園阪神パーク開催され科学博に出展。この投影機そのまま常設されその後福岡広島などにも設置されていった一方五藤光学研究所1959年製作したM-I投影機当時価格で約800万円)である。この投影機静岡県清水市(のちの静岡市清水区)の富士センター東京浅草公園六区新世界ビルなどに設置され、うち1台は1960年ニューヨーク国際見本市出品見本市終了後コネチカット州ブリッジポート博物館販売され1962年一般公開された。 現在[いつ?]、五藤光学研究所コニカミノルタプラネタリウムは、2社を合わせて世界プラネタリウム半数近いシェア抱えるトップメーカーとなっている。 また、大平貴之個人製作し1998年ロンドン初公開されたメガスターは、従来100倍相当する投影恒星150個を再現し世界プラネタリウム専門家驚かせた。その後本人により設立され大平技研によって開発・運用されているメガスターIIは、恒星投影数約500個(12.5等星まで)に拡張され日本科学未来館川崎市青少年科学館などに設置され話題となった。さらに2008年6月シカゴ行われたIPS国際プラネタリウム協会大会で初め発表されたスーパーメガスターIIは、約2200個(13等星まで)の恒星投影することが可能である。2012年7月7日投影開始した東京多摩六都科学館プラネタリウム五藤光学研究所製、直径27.5m)は世界最多1億4,000個の恒星投影する2006年現在プラネタリウムを最も多く保有している国はアメリカで1200基、その次に日本の約300基が続いている。 投影用のドームとしては、2011年3月名古屋市科学館新設され直径35メートルのものが世界最大である。名称はブラザーアースブラザー工業ネーミングライツ獲得)。

※この「日本におけるプラネタリウムの歴史」の解説は、「プラネタリウム」の解説の一部です。
「日本におけるプラネタリウムの歴史」を含む「プラネタリウム」の記事については、「プラネタリウム」の概要を参照ください。

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