新潟地震当時の放送体制とは? わかりやすく解説

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新潟地震当時の放送体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:50 UTC 版)

新潟放送」の記事における「新潟地震当時の放送体制」の解説

1964年6月16日 13:01発生した新潟地震発生後番組編成活動状況下記の通り1301ラジオ『歌で歩む50年』、テレビいつか青空』を放送中地震発生新潟市震度6を記録する川岸町本社停電と、本社-送信所間の地下埋設放送線断線したためラジオテレビ放送不能になる局舎隣接する北陸瓦斯ガスタンク2基がガス漏れにより爆発の危険が出たため全社員に避難命令が出るが、数十分後に解除される14時15分 テレビ放送再開スタジオカメラ屋上設置し炎上する昭和石油からの2つ黒煙落下した昭和大橋などを放送する14時33屋上カメラから信濃川逆流する180cmの津波放送する同時に2インチVTRにも収録する15時05ラジオ、山ニツ送信所から放送再開大和デパート新潟店中元取材中、地震遭遇した報道部藤田実記者徒歩で山ニツ送信所向かい昭和大橋被害昭和石油火災津波国鉄不通などの情報放送するラジオ再開後、テレビラジオ音声流し始める。 15時25本社県警察本部新光町)→警察庁霞が関)→東京支社当時銀座にあった経由TBSラジオ支援要請16時01ラジオ県庁設置された県災害対策本部から災害情報尋ね人放送開始本社スタジオ放送不能のため、新潟県庁駐車したラジオカーから送信したFM波を直接山ニツ送信所受信し放送する)。 17時15分 見舞い文に改められラジオCM放送再開2000ライフライン公的情報災害状況尋ね人新潟訪れている修学旅行生の安否情報などを終夜放送する2014川岸町本社 - 電電公社新潟電話局(現・NTT東日本新潟支店)間のNTT中継回線仮復旧。『クイズ・クイズ・クイズ』のネット受け途中から開始深夜テレビ放送休止 1964年6月17日 16日応援要請受けて秋田放送東京放送TBS)から総勢57人のスタッフテレビ中継車電源車放送復旧機材等が新潟到着1800川岸町本社スタジオからラジオ放送再開本社 - 山ニツ送信所間をTBS持参したFM広帯域一対向によって仮復旧)。特集29時間後の新潟市から』を放送2230ラジオ尋ね人を約5,000人などを伝えた災害放送終了。 この放送中新潟市災害対策本部からの要請県内化学製品工場関係者あてに化学消防車昭和石油火災現場派遣してほしい趣旨救援放送実施ラジオ聞いていた関係者により当日深夜化学消防車応援駆け付けた

※この「新潟地震当時の放送体制」の解説は、「新潟放送」の解説の一部です。
「新潟地震当時の放送体制」を含む「新潟放送」の記事については、「新潟放送」の概要を参照ください。

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