新性能電車による運用の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 08:53 UTC 版)
「日本の電車史」の記事における「新性能電車による運用の拡大」の解説
1953年の京阪1800系・東武5720型・都電5500形・6500形・営団300形・大阪市電3000形電車を始めとして、従来の吊り掛け駆動方式に比べ効率・乗り心地・高速性能などの面で優れるカルダン駆動方式が開発され、以後の電車の主流方式となっていくことになった。 その後、国鉄でも1957年のモハ90系からカルダン駆動方式の電車を順次投入し、これらは新性能電車と呼ばれるようになった。同年、近鉄では日本で初めての高加減速車両である6800系(ラビットカー)が投入され、電車の起動加速度・減速度の引き上げが本格的に始まった年ともなった。また、同じ1957年に、小田急電鉄では3000形(SE車)と呼ばれる連接台車を採用した特急用車両(小田急ロマンスカー)を国鉄鉄道技術研究所の協力を得て開発し、国鉄に貸し出されて東海道本線で高速試験を行った。 更に、電化に関する地上整備コストを安く出来る交流電化が1955年に仙山線で採用されると、1961年には日本初の交直流電車である401系が常磐線用に開発投入された(なお、国鉄時代には全国的な車両配置転換を考慮し、北海道地区を除いては交流型電車(交流専用車)が投入されることはほとんどなかった)。 1958年には、小田急3000形の影響も受けて国鉄の特別急行列車(特急)にも電車(20系)が用いられるようになる。動力分散方式による高速列車の開発は更に進み、1964年には新幹線(東海道・0系)として結実を見る事になった。この実現には、太平洋戦争前より動力分散方式の優位性を主張し、前述した80系の開発も担った島秀雄が大きく貢献した。また島は、貨物列車も動力分散方式によるのが望ましいとも主張していた。
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