新宝蔵
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1970年(昭和45年)に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫。例年春と秋に期日を限って公開される。金堂にあった木造大日如来坐像(重要文化財)の他、「旧講堂木彫仏群」といわれる、もと講堂に仮安置されていた奈良時代末期から平安時代前期の一木彫仏像群が収蔵され、一部が展示されている。 木造大日如来坐像(重要文化財) - 像高352.7センチメートル。もと西山大日堂(廃絶)の本尊と伝え、新宝蔵ができるまでは金堂東側の外陣にあった。平安時代初期の作。 木造伝・薬師如来立像(国宝) - 像高160.2センチメートル。奈良時代。 木造伝・衆宝王菩薩立像(国宝) - 像高173.2センチメートル。奈良時代。 木造伝・獅子吼菩薩立像(国宝) - 像高171.8センチメートル。奈良時代。 かつて講堂内には由来不詳の破損仏が多数安置されていた。それらは新宝蔵に移され「旧講堂木彫仏群」と称されている。中でも、上の3像と、現在も講堂にある持国天、増長天立像は作風に唐風が強く、鑑真とともに来日した工人が制作に関与したと推定される。奈良時代には銅造、乾漆造、塑造の仏像が盛んに造られ、純粋の一木造の作品はむしろ少ないが、上記の薬師如来、衆宝王菩薩、獅子吼菩薩の各像はいずれもヒノキまたはカヤの一木造で、素地仕上げとし、内刳りを施さず、足下の台座蓮肉まで一木で造るなど、技法に共通点が多い。薬師如来像は京都・神護寺の薬師如来像との様式的つながりが注目される。衆宝王菩薩像、獅子吼菩薩像は破損が激しいが、元は前者が三眼六臂、後者が三眼四臂の不空羂索観音として造立されたものと推定される。 木造如来形立像(にょらいぎょうりゅうぞう、重要文化財) - 像高154.0センチメートル(現存部)。頭部、両手先、両脚先を欠失する。「唐招提寺のトルソー」の通称で著名な像である。服制から如来像とみられるが、本来の像名が不明なため、「如来形」像と呼ばれる。上記の薬師如来、衆宝王菩薩、獅子吼菩薩とは異なって、内刳りを施し、本体と台座は別材から造っており、和様化の進んだ平安時代初期の作とみられる。太い衣文と細く鋭い衣文を交互に表す翻波式衣文や、大腿部の量感を強調した表現は平安初期彫刻にしばしば見られるものである。
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