新しい都市計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:25 UTC 版)
「サラソータ (フロリダ州)」の記事における「新しい都市計画」の解説
1925年、都市計画家ジョン・ノーレンが市中心街の開発計画策定のために雇用された。ノーレンはベイフロントの近くはアーチ状に道路を配し、その先は格子状にした。北は10番通りから南はマウンドまでが入っていた。この計画は当時の市が発展している方向に密接に繋がっていた。 中心街の通り名や番号はこのとき現在のものに変えられた。当時番号付き通りは、バーンズ広場とバーンズの三角形の建物がオレンジ・アベニューとパイナップル・アベニューの交差点を分ける場所を1番通りとして始まっていた。ノーレンはこれを北に移し、現在のメインストリートの上から始まるようにした。メインストリートの外れ、ホーバー・アーケードにある市役所はウォーターフロントにあり、そこから市の桟橋が伸びていた。そこが新しい市の中心だった。自動車や荷物はそのアーケードを通ることができ、鉄道は直接ターミナルまで敷かれた。 この新計画は、市役所をベイフロントで強調しており、市の中核にしていた。中心街のベイフロントと市の北部を湾岸で繋ぐブロードウェイは、建設中だったタミアミ・トレイルの一部となった。このトレイルはアメリカ国道41号線の一部となり、1928年にはタンパ市とマイアミ市を繋いだ(このことからトレイルの名前となった)。マナティ郡北部ではアメリカ国道301号線と接続し、「ドッグレッグ」で曲がって西のコルテス道路に向かっていた。サラソータ市内では東に転じてメイストリートで中心街を抜け、ワシントン・ブールバードで再度アメリカ国道301号線と合流した。 この計画は1960年代に放棄された。タミアミ・トレイルの走行速度を上げる要求のために市役所を解体することとなり、ベイフロントをそのまま通過するよう付け替えられた。20世紀の最後の10年間までに、自動車の交通量が増え、人間は歩いて交差点を渡るのが難しくなっていた。この時期の計画は中心街を再度ベイフロントに結びつけ、ベイフロントの道路から高規格道路の指定を外すことが求められていた。ニューアーバニズムの概念で、町を歩いていくことができ、最も美しい財産であるサラソータ湾を最大限生かすよう再生させることに集中された。騒音を減らす手段としてロータリーが検討され、利用が増えている自転車と歩行者の中で、自動車の動きを安全で効率的なものとする優美な設計に統合するものとし、合わせて大気汚染を減らす事も目された。
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