文保百首とは? わかりやすく解説

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文保百首

主名称: 文保百首
指定番号 2460
枝番 00
指定年月日 1990.06.29(平成2.06.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 21巻
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  文保百首は『続千載和歌集【しよくぜんざいわかしゆう】』の撰定に際して後宇多上皇召した百首で、文保二年(一三一八十二月詠進の命が下り当初は翌文保三年正月披講予定されていたが、実際に詠進されたのは各人位署および端作の季節から文保三年元応元年)春から翌元応二年の夏頃であった推定されている。詠進者は後宇多院以下三五名が知られている。
 冷泉家伝わったのは、そのうち忠房親王源忠房)、一条内経洞院実泰西園寺公顕六条有房花山院師信小倉実教日野俊光吉田定房六条有忠冷泉為相三条実任飛鳥井雅孝九条隆教、五条為実津守国冬覚助法親王、空性(西園寺実兼)、頓覚(小倉公雄)、雅、道順二一名のものであるそれぞれ厚手楮紙継いで書かれ、端作の書き方は「詠百首和哥」(忠房)とするものから「夏日侍 太上皇仙洞同詠百首應製和哥」(有房)とするものなど種々あり、その季節異なっている。本文は春二十首、夏十首、秋二十首、冬十首、恋二十首、雑二十首で、歌題は記さず、各一首を上句・下句の二行に書いている。
 この二一名のうち六条有房花山院師信については、洞院公賢日記園太暦貞和二年閏九月十日条に、それぞれ子息六条有忠花山院師賢清書したことが先例として記されており、両巻の端裏に書かれた後筆の端裏書にもその旨記されている。このことから、他の者については、それぞれ詠者みずからが清書して提出したのであることが知られる
 本文中には「続千載」「続後拾遺」の集付が後筆の押紙(二種)で付されるほか、墨書のない付箋がまれに存するが、その他に書き入れ等はなく、詠進当時の姿を伝えている。
 本百首まとまった写本は、宮内庁書陵部本および早稲田大学本が知られるのみで、また原本としては他に書陵部鷹司冬平百首存するのが知られているにすぎない
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