放送45周年の節目にパーソナリティを卒業
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「道上洋三」の記事における「放送45周年の節目にパーソナリティを卒業」の解説
2021年9月11日(土曜日)の午前中に自宅で脳梗塞を発症したため、救急車による病院への搬送を経て、投薬治療を目的にそのまま入院した。脳梗塞と診断された時点では生命に別状がないものの、退院までの期間が見通せないため、『おはパソ』を9月13日(月曜日)放送分から休演。休演期間中には堀江をはじめ、後輩のアナウンサーをパーソナリティ代理へ順次立てている(当該項で詳述)。 道上は後に、リハビリ専門の施設が備わった病院へ転院。脳梗塞を発症する前のように右足を動かすことや発話することが難しい状況にありながらも、体調の回復に向けてリハビリを続けている。番組スタッフがこのような状況で道上の家族などと協議を重ねたところ、「道上の体調が今後回復しても、(2021年度の時点で1日当たり)2時間半にわたる『おはパソ』の生放送へ高齢(脳梗塞を発症した時点で78歳)の身で週に5日臨むことをお願いするのは厳しい」との結論に至ったことから、道上を脳梗塞の治療に専念させるべく『おはパソ』のパーソナリティを2022年の3月末で卒業させることを決断。2021年12月20日(月曜日)の『おはパソ』で、その旨がパーソナリティ代理の伊藤史隆(代演の時点では朝日放送テレビのアナウンサー)から発表された。 『おはようパーソナリティ道上洋三です』としての放送は2022年3月25日(金曜日)で終了するが、同日までは他のアナウンサー(伊藤・小縣裕介・古川昌希など)による代演体制を事実上継続。翌週(3月28日)からは、『おはようパーソナリティ』というタイトルを残しつつ、月 - 木曜分を『おはようパーソナリティ小縣裕介です』、金曜分を『おはようパーソナリティ古川昌希です』として放送している。その一方で、朝日放送ラジオでは、道上の体調が回復した場合に道上を早朝以外の時間帯の番組へ迎える方針を立てている。 なお、『おはようパーソナリティ道上洋三です』では2021年に、放送の開始から45周年を記念した企画の一環として『虹へ』というテーマソングを制作することを企画。道上は、10月12日(火曜日)の本番後にいがらしあみ(2020年10月からアシスタントとして出演していたフリーアナウンサー)と揃って歌のレコーディングへ臨むべく、9月4日(月曜日)の時点で歌詞を仕上げていた。ちなみに、歌詞には阪神・淡路大震災の発災を境に実感したことなどが盛り込まれていて、番組と縁の深いピアニストの沼光絵理佳が曲を付けている。 『虹へ』の制作企画については、道上が脳梗塞を発症したことを境に中断を余儀なくされていたが、『おはようパーソナリティ道上洋三です』としての放送の終了が決まったことを受けて再開。道上の休演期間中にパーソナリティ代理を務めたアナウンサー全員・毎週金曜日に番組内のニュースを担当していた後輩アナウンサーの桂紗綾・番組と縁の深いプロの歌手(高石・加藤登紀子・平原綾香)が道上に代わって歌を吹き込むことや、リスナーから歌唱音源を募集することによって番組の最終週(2022年3月21日)に披露へ漕ぎ着けた。もっとも、朝日放送ラジオでは「『虹へ』は道上が歌うことによって完成する」というスタンスを崩しておらず、道上が歌える状況にまで体調が回復すれば『虹へ』の「完成版」を制作する方針を立てている(当該項で詳述)。 結局、道上本人が最終回までに復帰することは叶わず、最終回は小縣といがらしのコンビで生放送を進行。小縣は、「毛筆でしたためた」という道上への「送辞」をエンディングパートで朗読した後に、道上へのエールを交えながら『六甲おろし』を独唱することによって45年間の放送を締めくくった。また、日刊スポーツ新聞西日本では、「感謝状 道上洋三殿」と銘打った全面特集を最終回当日の大阪本社発行版(25面)に掲載。『おはパソ』へ定期的に出演していた寺尾博和編集委員が番組の歴史を物語るエピソードを資料写真と合わせて紹介したほか、最後のプロデューサーであった小川鉄平をはじめ、当番組や道上と縁の深い人物から多数のコメントが寄せられた。
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