改番、高速電車へ(戦前の601形)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 19:56 UTC 版)
「阪神601形電車」の記事における「改番、高速電車へ(戦前の601形)」の解説
1929年には、371形は401形とともに改番を実施され、形式を601形に改めた。 また、1931年集電装置をポールからパンタグラフに換装し、東洋電機製造製のTDK-Gを奇数車は大阪側、偶数車は神戸側にそれぞれ取り付けた。翌1932年にはパンタグラフを芝浦製作所製のRPG-17Aに再換装する車両も現れ、後に大半の車両はこのパンタグラフに取り替えられた。また、この頃に1001形同様塗色を茶色に変更されている。 1933年の神戸市内地下線開業に伴って新設軌道線から併用軌道区間が消滅したことから、救助網及びホールディングステップを撤去、翌1934年からは両端扉の自動扉化を行うとともに、半数の車両はステップを切り上げて中央扉と高さをそろえる改造を実施した。併せて貫通幌を取り付けたほか、貫通扉を木製のものに交換している。このように、601形は阪神本線の高速化に対応した改造を実施されたが、台車の位置が従来のままであったために車端部のオーバーハングが長く、台車中心間隔が狭かったことから、他形式に比べると動揺が大きく、乗り心地はよくなかった。まだ、SMEブレーキの効きがあまりよくなかったために、3連運行が最大連結両数であった。 登場当初は急行運用にも充当されることがあったが、401形や831形の増備に伴い、301形各形式とモーターの出力が同じであったことから、普通運用やラッシュ時の臨時急行の運行に多く充当された。これは301形各形式が1001形各形式に鋼体化改造されても基本的に変わらなかった。また、甲子園線の多客時には新設軌道線唯一のステップ付き車両という特性を生かして、本線から杭瀬連絡線経由で国道線を経て甲子園線に入線した。その際には集電装置をポールに換装している。
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