損壊事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:45 UTC 版)
1914年3月10日にフェミニスト活動家であるカナダ人女性メアリー・リチャードソン (en:Mary Richardson) がナショナル・ギャラリーに立ち入り、持っていた肉切り包丁で『鏡のヴィーナス』に切りつけた。以前から婦人参政権論者たちがナショナル・ギャラリーを襲撃する可能性があることは警告されており、その前日に仲間の婦人参政権論者であったエメリン・パンクハーストが逮捕されたことに対する報復として、リチャードソンがこの事件を起こしたと考えられた。リチャードソンは描かれているヴィーナスの肩から腰にかけて7箇所の傷をつけたが(英語版記事の写真参照)、ナショナル・ギャラリーの主任修復家だったヘルムート・ルーマンによってほぼ元通りに修復することに成功した 。 リチャードソンには美術品損壊に対する刑罰としては最高刑の禁固6か月が言い渡された。その直後に彼女は、婦人参政権論者の集団である婦人社会政治連合 (en:Women's Social and Political Union) に宛てて「私は神話の歴史のなかでもっとも美しい女性を描いた絵を攻撃した。それは現代史においてもっとも品性美しい人物であるエメリン・パンクハースト夫人をイギリス政府が攻撃していることへの抗議である」という声明を出した。リチャードソンは1952年にもインタビューに応じ「ナショナル・ギャラリーを訪れた男性客たちが、あの絵に長いこと見とれているのが我慢できなかった」と付け加えている。 フェミニスト作家であるリンダ・ニードは「あの事件は、女性ヌードに対するフェミニスト的態度の見方の象徴となった。ある意味で、あのような見方が、フェミニズムというもののステレオタイプとして広く認知されるようになってしまった」と考察している。 当時のこの事件に関する報道から、『鏡のヴィーナス』が一般に単なる芸術作品として見られていたわけではないのは明らかである。当時の記者たちは「殺人」(murder)という言葉を使ってこの事件を説明することが多く(リチャードソンは「切り裂きメアリー (Slasher Mary)」と呼ばれた)、絵に描かれた女性像に対する表現ではなく、生身の女性に怪我を負わせたかのような表現を用いた。高級紙のロンドン・タイムズでさえ、『鏡のヴィーナス』の来歴に関する記事のなかで、絵画のヴィーナスの切られた跡を「首の残酷な傷跡 (wound)」と記述し、それは肩や背中の切られた箇所の記述についても同様であった。
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