捏造を実行する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 17:04 UTC 版)
ジェームズ・マコーレー(James McAuley) 1944年 ハロルド・スチュワート(Harold Stewart) 1944年 マコーレーおよびスチュワートは、その雑誌宛てに無意味な詩を投稿することによってハリスおよび『Angry Penguins』に対していたずらを実行することに決めたし、これが、架空の詩人に変装して、モダニストの複数の傾向のうち最悪のものを捕らえる、と彼らは感じた。彼らは、詩人「アーネスト・レーラー・マリー」("Ernest Lalor Malley")の架空の伝記を思いつき、彼は前年に25歳で死亡した、と主張した。その名前は「高度にオーストラリアふうに聞こえるハンドル」("highly Australian-sounding handle")である:「マリー」("Malley")は、オーストラリア植生のいち部類[ユーカリ属の常緑低木]と特有原産の鳥マリーファウル(malleefowl)[クサムラツカツクリ]とを意味している単語「マリー」(mallee)の地口であり、「レーラー」("Lalor")は、1854年のユリーカ・レベリオン(Eureka Rebellion)の指導者 ピーター・レーラー(Peter Lalor)を思い出させる。それから、或る午後に、彼らは、全作品の本体を書いた:17個の詩で、長さ1ページもなく、すべては『The Darkening Ecliptic』のタイトルの下に、連続して読まれる意図である。 彼らの執筆スタイルは、彼らが説明していることだが、『Concise Oxford Dictionary』、『Collected Shakespeare』、そして『Dictionary of Quotations』から複数の単語およびフレーズを盗用しながら、最初に頭に浮かんだことを書きとめることであった:「われわれは、無作為に複数の書籍を開き、単語あるいはフレーズを選んだ。われわれは、それらを複数の表にし、それらを移動させ無意味な複数のセンテンスにした。われわれは誤引用し、いつわりの引喩(false allusions)をおこなった。われわれは、ひどい韻文をわざと実行し、『Ripman's Rhyming Dictionary』からやっかいなな韻を選んだ("We opened books at random, choosing a word or phrase haphazardly.We made lists of these and wove them in nonsensical sentences.We misquoted and made false allusions.We deliberately perpetrated bad verse, and selected awkward rhymes from a Ripman's Rhyming Dictionary.")。それらは、自身の詩の多くの小片を、ただしわざと支離滅裂なふうに、含んだ。 シークエンス『Durer: Innsbruck, 1495』のなかの1つめの詩作品は、ハリスに訴求するように編集された、未公表の懸命な努力であった。 I had often cowled in the slumbrous heavy air,Closed my inanimate lids to find it real,As I knew it would be, the colourful spiresAnd painted roofs, the high snows glimpsed at the back,All reversed in the quiet reflecting waters –Not knowing then that Durer perceived it too.Now I find that once more I have shrunkTo an interloper, robber of dead men's dream,I had read in books that art is not easyBut no one warned that the mind repeatsIn its ignorance the vision of others. I am stillThe black swan of trespass on alien waters. デイヴィッド・ブルックス(David Brooks)は、その2011年の書籍『The Sons of Clovis: Ern Malley, Adoré Floupette and a Secret History of Australian Poetry』のなかで、アーン・マリー捏造事件は、1885年のフランスの象徴主義およびデカダン運動に関する諷刺である、アンリ・ビュクレール(Henri Beauclair)およびガブリエル・ヴィケール(Gabriel Vicaire)による『Les Déliquescences d'Adoré Floupette』を基にして作った、と立論した。スチュワートは、アーン・マリー捏造事件のときにフルーペット(Floupette)のことを聞いたことはいちどもないと主張し、マコーレーが持ったという証拠はないいっぽうで、彼の、「"Symbolism: an essay in poetics"」というタイトルの修士論文はフランス象徴主義の詩および詩学の研究を含んでいた。
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マコーレーおよびスチュワートはそれからハリス宛てに、エセルからということにして、詩作品を含む手紙を送り、亡き兄弟の作品に関する意見を求めた。 ハリスは、詩作品を読み、のちに回想したが、高まる興奮を覚えた。彼は、アーン・マリーはW・H・オーデンあるいはディラン・トマス級の詩人である、と考えた。彼は文学友人仲間にそれらを示し、彼らは、たいへん重要な、まったく未知のモダニスト詩人がオーストラリア郊外から発見されたということで意見が一致した。彼は、『Angry Penguins』の特別号を急いで出すことに決め、その表紙のために、詩作品に基づく、シドニー・ノーランによる、絵を注文した。 『Angry Penguins』の「1944年秋」("Autumn 1944")版が、戦時の印刷遅延のために1944年6月に刊行された。ハリスは、オーストラリア作家批評家の小さな世界で販売を促進した。反応は、彼が希望したあるいは期待していたものではなかった。マリーの詩作品を嘲笑し、ハリス自身が手の込んだ捏造のためにそれらを書いたことを示唆している記事が、アデレード大学(University of Adelaide)の学生新聞に、載った。
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