指揮権の危機とは? わかりやすく解説

指揮権の危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 17:38 UTC 版)

第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「指揮権の危機」の解説

1944年2月から9月にかけてのレオン・デグレルの最大の不満は、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー要求していたにもかかわらず、デグレル自身が「ヴァロニェン」旅団指揮官として公式に認知されておらず、単に「ワロン人指導者」(Führer der Wallonen)とだけ見なされていることであった1944年2月コルスン包囲戦から生還した後、デグレルは旅団をより大きな部隊増強することを欲したが、それは士官学校軍事教育受けていない一介SS少佐指揮可能なものではなかった。 当時親衛隊本部ゴットロープ・ベルガー親衛隊作戦本部ハンス・ユットナーはデグレルに対しベルギーの高級職業軍人が「ヴァロニェン」旅団勤務する用意出来ないであればドイツ人を「ヴァロニェン」旅団指揮官据えることを明らかにした。同時にベルリン当局すべての外国人部隊(「ヴァロニェン」旅団を含む)をドイツ人指揮下に置くことを決定した。しかし、ドイツ側この方針は第373ワロン歩兵大隊1943年6月武装親衛隊移籍した際の約束部隊指揮権ベルギー人掌握)に反していた。 これらドイツ側思惑対抗するため、1944年5月からデグレルはプレンツラウ(Prenzlau)にあるベルギー軍将校専用収容所(Offizierslager IIA)に足を運び、「ヴァロニェン」の指揮権ドイツ側から守るに足るベルギーの高級職業軍人探し始めていた。そして、デグレルの勧誘応じた次の5名のベルギー高級職業軍人捕虜収容所から釈放された。 ランベール・シャルドム将軍General Lambert Chardome) ロン大佐Colonel Long) フランキグヌール大佐Colonel Frankignoul) フランス・エレボ少佐Major Frans Hellebaut)(B.E.M.) レオン・ラカイ上級大尉(Capt-Cdt. Léon Lakaie) シャルドム将軍入隊承諾新聞掲載され1944年6月25日、デグレルはベルリンベルリン・オリンピアシュタディオン近隣国立競技場(Reichssportfeld)で開催され会議の場で、シャルドム将軍突撃旅団志願したことを宣言したかくしてベルギーの高級職業軍人入隊承諾取り付けたことにより、「ヴァロニェン」の指揮権ドイツ側干渉することは無くなると思われた。 ところが、フランス・エレボ少佐とレオン・ラカイ上級大尉実際に入隊したものの、シャルドム将軍ロン大佐、フランキグヌール大佐態度翻し突撃旅団への入隊拒否してプレンツラウの収容所戻った。さらに、ドイツ側は既にポーランド・東クラカウ地区警察指導者カール・ブルクSS上級大佐(SS-Obf. Karl Burk)を第5SS義勇突撃旅団「ヴァロニェン」の指揮官として送り込む準備整えていた(1944年7月8日付のヒムラー秘密文書によると、ブルク1944年6月21日から「ヴァロニェン」旅団指揮官とされていた)。 1944年7月レジスタンス暗殺された弟の葬儀出席するためベルギー戻っていたデグレルは、これらの事実を知るとベルリン向かいブルクが「ヴァロニェン」の指揮官の座から退かない限りドイツ国内部下前に姿を現さないことを主張したその後、デグレルは前述したようにエストニア派遣された「ヴァロニェン」戦闘団合流して活躍しナチス上層部への接近深めたとりわけデグレルは第三帝国総統アドルフ・ヒトラーに「私が息子を持つのであれば貴君のようなであってほしい」(Hätte ich einen Sohn, ich wünschte er wäre wie Sie!)と言わしめるほどヒトラー気に入られベルガーたちの計画外国人部隊ドイツ人指揮下に置くこと)を、少なくとも「ヴァロニェン」に限って頓挫させた。

※この「指揮権の危機」の解説は、「第28SS義勇擲弾兵師団」の解説の一部です。
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