指揮権が発動された例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:39 UTC 版)
「指揮権 (法務大臣)」の記事における「指揮権が発動された例」の解説
指揮権が発動されたと公に認識されているのは1例のみである。 1954年(昭和29年)4月21日の造船疑獄において犬養健法務大臣が「重要法案審議中」を理由に、佐藤藤佐検事総長に対して自由党幹事長・佐藤栄作の収賄容疑の逮捕請求を無期限延期させて強制捜査から任意捜査への切り替えを命令した件 犬養はこの後に法務大臣を辞任した。なお、後任法務大臣の加藤鐐五郎は「4月21日の法相指示は国会閉会とともに自然消滅する」と佐藤検事総長に通知している。検察は贈賄側が保釈されていることで収賄罪の容疑を裏づけることは困難として国会閉会後に佐藤幹事長の逮捕をすることはなかった。この事件については後に佐藤検事総長が国会で証人喚問された際に「指揮権発動によって、捜査に支障を来たした」と証言したこともあり、長らく政界が検察に対して党派介入したものと批判された。だが、この場合も命令は無効とはいえず、政治的な批判の問題が残されただけである。もっとも、その後の資料によって、検察内部で証拠の評価などを巡って捜査方針の対立があり、強行に捜査を進めていた特捜部の方針を危惧した検察幹部が政界に対して指揮権発動によって強制捜査を中止させる案を持ちかけたことが明らかになっている。なお、裁判では14人に有罪判決が出たが、7人の完全無罪確定者が出ており、14人の有罪判決の中には一部無罪判決が出た者もいる。また逮捕を免れた結果となった佐藤栄作は後に政治資金規正法違反で在宅起訴されたが、国連加盟恩赦で免訴となった。
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