指揮権発動の是非
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 20:41 UTC 版)
本来は『起訴する権限を独占している検察官を、選挙による民主主義を基盤とする内閣の一員である法務大臣がチェックする仕組み』として考えられていた指揮権が、佐藤など一部の政治家を救うための手段に利用されてしまったため、制度の政治的正当性が完全に失われてしまい、日本の民主主義にとって手痛い失敗になったとする意見がある[誰?]。 逮捕こそ免れたものの後の総理大臣の佐藤に逮捕状が出された事で、政界が検察に党派介入したものとして敗戦後の日本政治史の一大汚点と考えられた。造船疑獄による指揮権発動問題が起こったことで政治が検察に関心を持つことさえもタブー視する状況につながったといわれている。 一方で、その後の関係者の資料によって、検察内部で証拠の評価などを巡って捜査方針の対立があり、強行に捜査を進めていた特捜部の方針を危惧した検察幹部が政界に対して指揮権発動によって強制捜査を中止させる案を内々に持ちかけたことが明らかになっている。当時、検察の捜査は、行き詰っていた。造船業界から自由党へ金が渡っていたのは間違いないが、政治献金があったという事実しか出てきておらず、贈収賄の立件は難しかった。捜査主任の河井信太郎が強引に捜査を進めていた状況であった。 佐藤栄作日記によると佐藤栄作は当初は指揮権発動を中々行わない犬養法相を罷免にして、新法相に指揮権発動させるよう吉田首相に要求していたという。 後に犬養は『文藝春秋』1960年5月号に、「指揮権発動により法務・検察幹部を軒並み引責辞任させ、意中の男を検事総長に据えようという某政治家と検察幹部の思惑があった」とする手記を寄せている。 逮捕延期の指揮権発動の発案者は誰かを巡って論争になり、一時期は岸本義広最高検次長検事が有力とされたが、その後では岸本説に否定的見解が示されるようになった。渡辺文幸は佐藤達夫法制局長官が指揮権発動の発案者だとしている。
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