贈賄側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 15:30 UTC 版)
一方、贈賄側の日本製糖取締役は、瀆職法、文書偽造行使、委託金費消違反に問われ、東京地方裁判所第四部刑事部が担当で1909年(明治42年)12月6日に判決言い渡しがあり、磯村は重禁固4年、秋山が同3年6か月の実刑。他の取締役5名は執行猶予付きの重禁固2年6か月以下の判決が下った。然し、磯村、秋山両被告は一審判決を不服として控訴したが、東京控訴院、宮城控訴院の各判決は共に1912年(明治45年)3月29日に上告棄却となり確定判決となる。 なお、当時日本精糖の社長を務めていた農学者の酒匂常明は、この事件の責任を取り1909年(明治42年)7月11日に短銃で自殺した。
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