抒情詩人としてのゲルハルト
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「パウル・ゲルハルト」の記事における「抒情詩人としてのゲルハルト」の解説
若い時期に体験した戦争、病気、死はゲルハルトに影響を及ぼした。とりわけ、これらの体験は彼の詩作において何度も反映している。詩に込められている素朴さ、暖かい心情、そして歌い易さが彼の賛美歌を国民的楽曲に成長させた。彼自身が作詞したものであっても、聖書の詩編、あるいは、アルヌルフ・フォン・レーベンによるラテン語詞、ヨハン・アールントによる祈祷文がオリジナルであっても、常にゲルハルトによって誰もが知っている内容に感情豊かな形で改定されていた。わかり易い言葉で形作られていたゲルハルトの抒情詩はキリスト教会、日常の時、四季、結婚生活や家庭生活をテーマにしていた。降臨節の賛美歌„Wie soll ich dich empfangen“で教会暦が始まり、„Fröhlich soll mein Herze springen“と„ Ich steh an deiner Krippen hier“(「まぶねのかたえにわれは立ちて」 賛美歌107)のようなキリスト降臨祭の賛美歌が続き、„O Haupt voll Blut und Wunden“ (血しおしたたる賛美歌136)のような受難節賛美歌が彼の詩作世界に登場する。復活祭と聖霊降臨祭は春に芽吹いた自然への喜びと結びつけられている。ゲルハルトは動物と植物をも親しんでいる。„Geh aus, mein Herz, und suche Freud“(「いざゆけ、野山に」賛美歌第二編143)において、彼は夏の花盛り土地を表現し、雨降る日々と光り輝く日々をも描いており、それは現世の苦しみと幸福を指していた。彼は主婦に向けた賛辞を示した上で、子供の墓地の前に立ち尽くす両親にも寄り添っていた。さらに、ゲルハルトは„Gib dich zufrieden und sei stille“ , „Warum sollt ich mich denn grämen“, „Ich bin ein Gast auf Erden“のような慰めの賛美歌を作詞した。戦争による苦境と平和への憧憬が再度ゲルハルトの歌詞において記されていた。30年戦争終結時、彼は感謝の賛歌を作詞し、そこには昔の平和と友情の言葉が響きわたっていた。 今日パウル・ゲルハルトとして知られている作品は139編のドイツ語歌詞と15編のラテン語歌詞があり、ヨハン・クリューガー、ヨハン・ゲオルグ・エーベリングとヨハン・ゼバスティアン・バッハによって曲が付けられている。ゲルハルト自身はつつましく、慎重で、地味な詩人であった。彼は文学的名声を得ることなく、自身の生活に満足していたのである。彼は名声を望まず、ただ詞において敬虔さ、生きる希望と勇気を人々に与えようと創作活動をした。それでも、過酷な環境を共に体験しながら、人の心を動かす詩作に従事した。ゲルハルトは詩作によって教会的、個人的敬虔へ向かうように人間を呼び覚ました。同時に彼の作品は教会的信仰の持つ客観性から人間的感情へと、さらに教派的賛美歌から建徳的歌曲へと転換していった。マルティン・ルターにおいて共同体を神に呼びかけていたが、ゲルハルトにおいては個々人に向けて呼びかけている。ゲルハルトの歌詞は新時代のドイツ抒情詩の先駆けでもあり、後にゲーテが完成させたバロック的詩作へ至る道を指し示していた。
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