技術革新への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 17:49 UTC 版)
「トマス・コクラン」の記事における「技術革新への貢献」の解説
船団の船は、先導する護衛艦のランプを頼りに航行する。1805年にコクランは改良型輸送船団誘導用のランプの競作に参加した。彼は、審査官が彼に抱いている偏見によって不利を被ると考え、友人の名で応募した。果たしてコクランは勝ち、彼はそれが自分のものであることを明らかにしたが、イギリス海軍はそのランプの購入を拒否した。 1806年、コクランは彼の考案した仕様になるガレー船を建造した。そして彼はそれを「パラス」に搭載しておき、フランス沿岸の攻撃に使用した。 1812年に、コクランは爆破船と悪臭ガス船の組合せをもってフランスの海岸を攻撃しようと提案した。爆破船とは、老朽船に火薬を満載したもので、それを夜中に、港の岸壁を後ろに敵艦のすぐそばに錨泊させるのである。これを敵の港内で爆発させることにより、その混乱に乗じて部隊を上陸させるという作戦であった。彼はこの計画を、クリミア戦争の前に提出し、また戦争中にも提案した。上層部は、その作戦のもたらす恐るべき破壊を懸念し、またその戦法がイギリスに対して用いられた場合のことを考慮して、採用しなかった。この計画は1895年まで秘密にしておかれた。 1818年に、コクランは、技師マーク・イザムバード・ブルネルと共同でトンネル掘削シールドの特許権をとった。そして、ブルネルと彼の息子は1825〜1843年に行ったテムズトンネルの建設においてその技法を使用した。 コクランは早くから蒸気船の支持者であった。チリ時代、彼は蒸気船を1隻、イングランドからチリまで運ぼうとしたが、建造に時間を要し、到着した時には戦争は終わろうとしていた。彼はギリシャ独立戦争にも蒸気船の使用を考えたが、チリのときと同様の結果となった。1830年代には、彼は蒸気動力について実験を行い、回転式エンジンとスクリューを開発した。1851年に、コクランは瀝青で蒸気船を動かすことについての特許を取得した。
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