技術革新と大衆化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:22 UTC 版)
長い間洋ラン栽培はきわめて高級な趣味と見なされてきた。理由としては特殊な技術や設備が必要であることもあるが、大量増殖がきわめて困難であった点が大きい。これには2つの面があり、一つは種子からの繁殖の困難さ、もう一つには株を増やすことの困難さがある。 そのため、洋ランは長らく極端に高価だった。たとえば唐沢によると、彼が洋ランに手を染めた第二次世界大戦後の日本では、月給が一万円台の時にシンビディウムはバルブで四-五万、良品のカトレアは十万円であった由。 種子に関しては、ラン科植物は莫大な量の種子を作るが、それがあまりにも小さく、しかも貯蔵栄養を持たないという特徴がある。自然界ではいわゆるラン菌が共生することで初めて発芽生育が行われるが、これを人工的に行うのは難しく、例えば親株の根元に蒔くなどの方法も知られてはいたが、成功率は高くなかった。 株の増殖は、改良品種などの系統を維持するには必須である。これに関しては、種類にもよるが,多くのラン科植物は繁殖が早くない。後述の単茎性のものでは何年も一株から増やせない例もあり、複茎性ではもう少しましではあるものの、その増加率は高くなく、例えばシンビディウムでは年に二倍程度と言われた。このことがランの値を高いものとし、1960年代にはものによっては1鉢が月収や年収に相当するなどという話もあった。この状況を激変させたのが無菌播種法とメリクロン技術であった。 無菌播種法は、寒天培地に必要な栄養源を添加したものに種子を散布する方法で、このようにすればラン科の種子が菌の存在なしに発芽成長することはアメリカのナドソンが1922年に発見した。この方法は目的とする種の繁殖法としてだけでなく、交配品種の作成にも大きく預かることになった。ラン科では種間だけでなく、属間でも稔性のある雑種が作れる例が多いが、交雑によって作られた種子の発芽がそれまでは保証できなかったからである。 メリクロンは成長点の組織細胞を人工培養する技法のことで、元来はウイルスに感染した植物からウイルスのない株を取り出す技術として開発されたものだった。1960年にフランスのモレルがこの目的のためにシンビデジウムの茎頂組織から新しい植物体を生育させることに成功した。同時にこの際に培養中に組織が数倍に成長するという点が注目され、むしろ繁殖法として利用できると考えられるようになった。1963年にアメリカのウィンバーがシンビジウムについて液体培地を用い、振とう培養することで繁殖させる方法を開発、さらにモレルは他のラン科植物でも同様な方法が有効であることを示した。現在ではシンビジウムの場合、1年で約4,000倍から17,000,000倍まで増殖が可能という。 この方法はたちまちラン科植物の繁殖法として実用化された。これは、一つにはそれ以前からの無菌旛種法の普及で無菌操作的な技術や装置に対してこの分野ですでになじみがあったこと、それにランが単価の高いものであるために苗代が多少高価になっても需要があったためと考えられる。
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