手が施された末に苦しんだ後、安楽死の判断が下された馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:27 UTC 版)
「予後不良 (競馬)」の記事における「手が施された末に苦しんだ後、安楽死の判断が下された馬」の解説
処置後の効果が得られない、また手術に成功しても術後のストレス(侵襲)と、それによって発生する二次的な疾病が大きな壁となる場合がある。 テンポイント 詳細は「テンポイント#手術・闘病生活」および「第25回日本経済新春杯#テンポイントのその後」を参照 1978年(昭和53年)1月、当時のスターホースであったテンポイントが競走中に骨折し、予後不良と診断された際、ファンや馬主の助命の嘆願、テレビや新聞報道による世間からの大きな反響もあり、安楽死の処分を採らずに、当時前代未聞の大手術を施したのち、1か月半あまりの闘病生活を送った。しかし、最終的には致命的な蹄葉炎を発症、衰弱死した。このテンポイントの一件は競走馬の治療の是非に対する議論を巻き起こした。他方、これによって得られたデータはその後の競走馬のみならず、動物園などで飼育されるウマ目全般に関する動物医療の技術向上に大いに寄与することとなった。また、サクラスターオーも左前脚に重度の骨折を発症し、同様に闘病生活を送ったが、立ち上がろうとして右前脚を脱臼して立ち上がれなくなったため、関係者がやむなく安楽死の措置を執った。 バーバロ 2006年(平成18年)にはこの年のケンタッキーダービー馬バーバロがプリークネスステークスで重度の粉砕骨折を発症、かつて行われたことが無いと言われる大がかりな手術を行い、その時点では一命を取り留めたものの、闘病生活の中でテンポイントと同様に蹄葉炎を発症、最終的には翌2007年(平成19年)1月に安楽死の措置が執られた。 マティリアル 予後不良に相当する骨折で闘病生活を送ったものの、ストレスなどから下肢部以外に疾病を併発して、死亡するケースも存在する。著名なのはサクラスターオーの同期・マティリアルで、1989年(平成元年)の京王杯オータムハンデキャップにおいて右前第一指節種子骨を複雑骨折、症状は重かったがオーナーの意向で手術が行われた。その手術自体は成功したものの、それから3日後、マティリアルは術後の痛みに耐えかねて馬房内で暴れ、ストレス性の出血性大腸炎を発症した。大量に下血して回復の見込みが立たなくなり、安楽死の措置を執ることとなったが、措置を実行する前にマティリアルは出血性ショックで死亡した。 アドマイヤキッス 2008年(平成20年)の京都牝馬ステークスで骨折したアドマイヤキッスは、やはり当初の手術こそ成功したものの、その後、馬房内で暴れて骨折した箇所をさらに開放骨折し、安楽死措置が執られた。暴れた原因について新聞などは疝痛を発症した可能性を報じている。
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