戸谷半兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/17 00:30 UTC 版)
戸谷 半兵衛(とや はんべえ)は、18世紀から19世紀の本庄宿の新田町(現在の本庄市宮本町と泉町の辺り)に店をかまえ、代々戸谷半兵衛を襲名していた豪商であり、宿役人。店の名の「中屋」にちなんで中屋半兵衛とも呼ばれた(こちらの名の方が認知度は高い)。中半の略称でも親しまれている。中山道で最大の宿場である本庄宿の豪商として全国的に名の知れた商人であった。本店は本庄宿の「中屋」であるが、江戸室町に支店である「島屋」を持ち、代々京都の方の商人とも付き合っていたため、その人脈はかなり広く、才能にも、度胸(行動)にも優れていた(京都にも支店はあった)。中屋は、太物、小間物、荒物などを商った。戸谷家は、経済面の救済だけでなく、文化面でも影響力が強い一族であり、関東一の豪商ともされる(『関八州田舎分限角力番付』に西方筆頭の大関として位置付けられている)。大名への貸し金も多額であった。しかし、その返済は滞り、未回収金は数万両に及び、この為、安政5年(1858年)頃より、幕府への御用金納入に支障をきたし、名字帯刀を取り上げられ、さらに家財闕所等の処分を受けるが、明治期には回復した。
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