豪商にして慈善家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 18:46 UTC 版)
戸谷半兵衛家は代々豪商にして慈善家でもあり、三右衛門(初代半兵衛)は天明の大飢饉の時に土蔵の建設を行い、手間賃と米を給した。現在、その土蔵は本庄の千代田1丁目4番地に残され、この土蔵を「天明の飢饉蔵」と言う。また、双烏(三代目半兵衛)は旅人の安全の為、神流川の渡しに高さ3mもする豪華な常夜燈を寄進した。この常夜燈は、渓斎英泉作の『支蘓路(きそろ)ノ駅本庄宿神流川渡場』(中山道六十九次の浮世絵)にも描かれている(浮世絵を見る限り、石製の常夜灯である)。さらに戸谷半兵衛家は、まだ少年であった本因坊丈和(当時は己之助と呼ばれていたものと見られる)を丁稚として住まわせていたが、その碁の才能を見抜き、支店である島屋(江戸)の方へ赴任させ、才能を開花させるはからいもしている。
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