豪商・鴻池家の贈呈品説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:24 UTC 版)
「長曽祢虎徹 (近藤勇佩刀)」の記事における「豪商・鴻池家の贈呈品説」の解説
新選組上洛後に豪商で知られる鴻池家より盗賊を退治したお礼として贈呈されたという説がある。明治時代のジャーナリストである鹿島桜巷が1910年(明治43年)から翌年にかけて東京毎日新聞に連載していた近藤勇の伝記である『剣侠実伝近藤勇』第28回、29回に、1864年(元治元年)正月の出来事として鴻池家から刀を拝領した逸話を挙げている。ある日近藤は副長である山南敬助と市内巡察をしている際に、ある家に不審な5名が入っていくのを見た。そこで近藤と山南は賊に立ち向かい何名かを討ち、残りの者も退けたがその際に山南は刀を折り軽傷を負ってしまった。実はこの家は大坂鴻池家の別邸であり、鴻池家は近藤らに感謝して折れた刀を代わりとして、鴻池家が所持している名だたる名刀の中から1つ選ぶよう述べた。しかし、実際に鴻池家から名刀を受け取ったのは近藤であり、山南には近藤が所持していた刀を分け与えたとされている。その近藤が受け取った刀こそが虎徹であったとされる。 また、新選組の後援者であり多摩小野路村の名主である小島鹿之助家に伝わる『両雄士伝』にも、上記の逸話の基となったエピソードが伝えられている。明治時代初期に成立した『両雄士伝』には実際に盗賊の討伐に出動したのは近藤に命じられた土方歳三と山南であり、鴻池家は近藤も含めた3名にそれぞれ「名刀各一口」を贈呈したとされている。
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