心理学の本質に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 15:59 UTC 版)
「ヘルマン・エビングハウス」の記事における「心理学の本質に関する議論」の解説
エビングハウス以前は、記憶研究の大半の貢献が哲学者によるもので、それも観察の説明と思索が中心となっていた。例えば、イマヌエル・カントは認識やその構成要素を議論するために純粋説明を用いた。フランシス・ベーコンは、以前学習した丸暗記リストの想起を単純に観察しても、記憶の「芸術には役に立たない」と主張した。記憶の説明的研究と実験的研究との間にある二分法は、後にエビングハウスの生涯の中で、特に元同僚ヴィルヘルム・ディルタイとの公的論争と重なって反響を呼ぶことになった。 ベルリン大学の同僚ディルタイとの公的論争でも示されていたが、エビングハウスは先駆的な実験心理学を新しい科学の方向性として強く擁護していた。1893年に彼がベルリンを去って少し後、ディルタイは説明的心理学の美徳を称賛する論文を発表した。精神は複雑すぎると主張して実験的心理学は退屈なものだと非難し、内観が心を研究する望ましい方法だという内容だった。当時の議論は主に、心理学が心の説明なり理解を目的とすべきかどうか、それが自然科学か人間科学のどちらに属するかというものだった。多くの人はこのディルタイの論文をエビングハウスを含めた実験心理学に対する手厳しい攻撃と見なしており、エビングハウスは個人的な手紙と長い公の痛烈批判記事でディルタイに返答した。ディルタイへの反論の中で、心理学が仮説的な仕事になることは避けられず、ディルタイが攻撃している心理学は私の「実験革命」以前に存在していた種類のものだ、とエビングハウスは述べた。シャーロッテ・ビューラーは約40年後、エビングハウスのような人々が 「1890年代に古い心理学を葬った」と述べ、彼の言葉に同意した。エビングハウスは、ディルタイがヴィルヘルム・ヴントやティチェナーのような構造主義者の現状維持を提唱し、心理学の進歩を潰そうとしているのは信じられないと言って、痛烈批判の説明を行った。 いくつかの現代テキストは、依然として心理学者よりも哲学家としてエビングハウスを記述しており、彼もまた哲学の教授としての人生を過ごしてはいる。しかしながら、心理学を哲学とはまた別の学問分野と見なすよう彼が戦ったことを考えると、エビングハウス自身はおそらく自分自身を心理学者だと述べるだろう。
※この「心理学の本質に関する議論」の解説は、「ヘルマン・エビングハウス」の解説の一部です。
「心理学の本質に関する議論」を含む「ヘルマン・エビングハウス」の記事については、「ヘルマン・エビングハウス」の概要を参照ください。
- 心理学の本質に関する議論のページへのリンク