微分法の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 16:11 UTC 版)
詳細は「微分積分学の歴史(英語版)」を参照 接線の傾きを知るという意味で言えば、微分係数の概念は旧く古代ギリシアのエウクレイデス (c. 300 BC), アルキメデス (c. 287–212 BC), ペルガのアポロニウス (c. 262–190 BC) ら幾何学者たちには馴染みのものであった。またアルキメデスは無限小を用いる方法も導入しているが、それは微分や接線に関してではなくて主に面積や体積に対してである(アルキメデスの『方法論』(英語版)の項を参照)。 変化率の研究に無限小を利用することは、インドの数学において恐らく紀元前500年くらい頃には見つけることができる。天文学者で数学者のアリヤバータ (476–550) は月の運行の研究に無限小を用いた。変化率の計算に無限小を用いる手法はバースカラ2世 (1114–1185) によって飛躍的に推し進められた。実際、ロルの定理などの微分法における重要な概念がその研究結果には含まれていると言われている。ペルシアの数学者シャラフ・アル゠ディン・アル゠ツシ(英語版) (1135–1213) は三次多項式の微分係数を初めて求めて、微分法における重要な足跡を残した。その「方程式に関する研究論文」では、導函数や曲線の最大と最小など、正の解を持たない三次方程式を解くための微分法に関する概念が展開されている。 現代的な微分積分学は、アイザック・ニュートン (1643–1727) およびゴットフリート・ライプニッツ (1646–1716) の両者が独立に創始したというのが通例である。これにより微分を求めることと接線の傾きを求めることとが統一的に扱われるようになるが、彼らを創始者とする鍵となる洞察は微分法と積分法とを結びつける微分積分学の基本定理であり、これは時代遅れの(イブン・ハイサム(アルハゼン)の時代からそれほど拡張されたわけではなかった)古くからある面積や体積の計算法を塗り替えるものである。ニュートンとライプニッツ両者の微分に関する考え方は、アイザック・バロー (1630–1677), ルネ・デカルト (1596–1650), クリスティアーン・ホイヘンス (1629–1695), ブレーズ・パスカル (1623–1662), ジョン・ウォリス (1616–1703) ら数学者の著しい先駆的研究の上に打ちたてられている。一般的にはバローが微分の先駆的発明者とされるにも拘らず、ニュートンとライプニッツが微分法の歴史における重要人物であることに変わりないのは、少なくともニュートンが微分法を理論物理学に応用した最初の人であり、一方ライプニッツは今日においても使用される系統的な記号法を生み出したといった理由による。 17世紀以降多くの数学者が微分法に貢献している。19世紀には、微分積分学はオーギュスタン・ルイ・コーシー (1789–1857), ベルンハルト・リーマン (1826–1866), カール・ヴァイヤストラス (1815–1897) ら数学者によってより厳密な基礎の上に置かれることになる。このころにはまた、微分法はユークリッド空間やガウス平面上へも一般化されている。
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