当麻東原古墳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 当麻東原古墳の意味・解説 

当麻東原古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 17:05 UTC 版)

当麻東原古墳
別名 馬塚・名馬塚
所在地 神奈川県相模原市南区当麻1440(当麻東原公園)
位置 北緯35度31分37.9秒 東経139度22分14.1秒 / 北緯35.527194度 東経139.370583度 / 35.527194; 139.370583座標: 北緯35度31分37.9秒 東経139度22分14.1秒 / 北緯35.527194度 東経139.370583度 / 35.527194; 139.370583
形状 円墳
規模 直径約16メートル、高さ約3メートル
埋葬施設 横穴式石室
出土品 耳環勾玉管玉鉄鏃刀子など
築造時期 7世紀
被葬者 不明
史跡 2001年(平成13年)4月1日市指定[1]
有形文化財 2012年(平成24年)4月1日市指定(東原遺跡出土品と一括)[2]
地図
当麻東原
古墳
神奈川県内の位置
テンプレートを表示

当麻東原古墳(たいまあずまはらこふん)は、神奈川県相模原市南区当麻にある古墳時代後期の古墳円墳)。墳丘は市指定の史跡に指定され[1]、出土品は市指定の有形文化財に指定されている[2]

概要

相模川左岸の段丘に位置する。かつて14基の円墳で構成されていた谷原古墳群(現在は当麻谷原1号墳が相模原ポンプ場内に保存[3])からは850メートルほど東に離れた位置に立地する。地元では馬塚(うまづか)・名馬塚(めいばつか)などと呼ばれていた[1]

1989年(平成元年)~90年(平成2年)に行われた市の土地区画整理事業に伴い、同時代の集落遺跡で古墳の北方70メートルにある東原遺跡とともに発掘調査された。古墳は7世紀に築造されたと見られており、横穴式石室から耳環勾玉管玉鉄鏃刀子などの副葬品が出土した。また東原遺跡では、竪穴建物5棟のほか、土師器の坏・甕・碗・甑・壺・砥石などが出土した。

現在古墳は当麻東原公園に保存され、出土品は相模原市立博物館に所蔵されている[2]

脚注

  1. ^ a b c 相模原市文化財保護課. “18.当麻東原古墳”. 相模原市. 2021年1月25日閲覧。
  2. ^ a b c 相模原市文化財保護課. “49.当麻東原古墳及び東原遺跡出土品”. 相模原市. 2021年1月25日閲覧。
  3. ^ 相模原市文化財保護課. “17.当麻谷原古墳(1号墳)”. 相模原市. 2021年1月25日閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  当麻東原古墳のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「当麻東原古墳」の関連用語

当麻東原古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



当麻東原古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの当麻東原古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS