当局との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 03:51 UTC 版)
「エーデルヴァイス海賊団」の記事における「当局との対立」の解説
彼等のスローガンの1つは「ヒトラーユーゲントとの永遠的戦争」であった。 エーデルヴァイス海賊団の主な関心は上記の余暇活動とナチス当局への対抗であったが、このナチス当局への反感は直接ナチス当局やナチス高官を襲うわけにもいかず、主にヒトラーユーゲントや突撃隊員などの個人を襲うことで達成されていた。 1941年、オーバーハウゼンの鉱山学校の教師によれば「あらゆる少年はキッテルバッハ海賊団が誰か知っており、彼等はいたるところに居る。彼等はヒトラーユーゲントよりも多く…(中略)…彼等はユーゲントのパトロール隊を襲撃、暴行を加えた…(後略)。」とされている。 彼等は街角でナチス黄金党員章を着用した者を背後からバカにして笑い、通りがかったユーゲントの隊長を捕まえて記章や名誉短剣を奪いからかって楽しんだ。これらのことをミュールハイムの突撃小隊は以下の報告を1941年に行っている。 「 (前略)・・・これらの悪行を警察当局が取り締まるようお願いする。ヒトラーユーゲントは身の危険からおちおち活動できません・・・(後略) 」 また、デュッセルドルフでは以下の報告がある。 「(前略)・・・小隊の隊長はこうした連中に絡まれずに街中を歩くことができない状態です。・・・(中略)・・・絡む連中はもはや小隊の活動にまったく出てこないか、それを妨害するかのどちらかを行っている。」「(前略)・・・デュッセルドルフにおける空襲以来、東部公園(ドイツ語版)に集まるものが増えている。・・・(中略)・・・これらの連中の大部分はヒトラーユーゲントの活動から離れており、組織に対して敵対的である。・・・(中略)・・・このような若者が地下通路に「ヒトラーを倒せ」、「国防軍最高司令部はうそつきだ」、「偉大なる殺人者に勲章と名誉を」などと落書きした疑いがある・・・(後略)」 さらに海賊団はナチス当局との対立を深めていくことになり、連合軍がまいた宣伝ビラを家々の郵便ポストに配り歩き、抵抗組織に加わったりする者も現れた。また、1942年、デュッセルドルフで共産党員から海賊団員への接触が発生するなど、抵抗組織が海賊団員を勧誘する場合もあり、ステッカー、チラシなどを配布するために海賊団に託すこともあった。ケルンにおいては1944年、エーデルヴァイス海賊団が地下組織に合流し、脱走兵や逃げ出した戦争捕虜、他国から連行されて強制労働に従事していた人々、強制収容所から逃げ出した囚人などの支援を行っていたが、さらに彼等は軍の補給所を襲撃するなど、パルチザンまがいの活動を行った。そのため、1944年秋、ゲシュタポのケルン本部長が犠牲者となっている。 こうして初期はただ単に不服従を旨としていた海賊団の一部は先鋭化し、抵抗組織と化していったが、これは若者特有のサブカルチャーという形で、ナチスとの統合を拒否したのであった。
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