当局からの弾圧
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1928年に治安維持法が改正されるなど社会主義、共産主義に対する弾圧が厳しくなると、マルクス主義者の向坂に対する風当たりも強くなり、1928年に九州帝大教授を他の二教授とともに辞任させられた。その後東京に移った向坂は改造社の『マルクス・エンゲルス全集』の編纂と翻訳に携わった。同時に、1928年からの地代論争、1930年代の日本資本主義論争では、労農派の代表的論客として活躍した。向坂の地代論争での論文は『地代論研究』に、日本資本主義論争での論文は『日本資本主義の諸問題』にそれぞれまとめられている。 1937年に第1次人民戦線事件に連座して逮捕・投獄される。保釈後も言論活動を封じられ、匿名でドイツ語書籍を翻訳するとともに、細々と農業で自給自足的に暮らした。厳しい監視下で、多くの社会主義者・共産主義者が生活のためもあり転向していく中で、彼もまた体制に積極的に抵抗することはできなかったが、それに媚びる言動はなかった。向坂の弟子である小島恒久(『向坂逸郎 その人と思想』)らだけでなく向坂と思想を異にする林健太郎(自伝『昭和史と私』)なども、向坂の戦中の態度を肯定的に評価している。
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