強豪への変貌と本拠地移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:38 UTC 版)
「現代ユニコーンズ」の記事における「強豪への変貌と本拠地移転」の解説
1996年の球団買収後は、当時韓国で1、2を争っていた現代グループの全幅的な支援をバックに、強豪チームへと変貌を遂げた。まず買収した1996年は契約で縛っておいたフェニックス所属の選手の契約を解除して元の指名球団との契約をできるようにする代わりに、該当球団から主力クラスの選手を無償トレードで受け入れる形で補強に乗り出した。1998年からは「弱小球団の干し殺し」という非難にも拘らず、当時財政的に苦しんでいたサンバンウル・レイダースから主力選手を現金トレードで獲得するなどして、買収した1996年にいきなりそれまで14年間1度しかできなかった韓国シリーズ進出を果たすと、2年後の1998年は悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。 外部からの補強に成功した後は、親会社が財政的に苦しくなったが、投手育成と外国人選手のスカウトに長所を発揮して、強豪としての戦力を維持することができた。1995年から2004年まで5人の新人王を輩出(うち4人が投手)しており、スコット・クールボー、クリフ・ブランボー、マイク・フィアリー、ミッキー・キャラウェイ、ラリー・サットンなど投打に掛けて戦力になる優秀な外国人選手を獲得して、2003年、2004年の連覇を含む4度の韓国シリーズ優勝を果たした。 発足時から1999年まで仁川広域市を縁故地とし、同市内の仁川球場を本拠地としていたが、SKワイバーンズの創設に伴い、本拠地のソウル移転を希望。SKにフランチャイズ保護地域の仁川広域市、京畿道、江原道を譲る代わりに、フランチャイズ譲渡金を受け取ると同時にソウルに新しいプロ専用の野球場ができるまでの暫定本拠地として水原市に移転した。 しかし、希望するソウルへの移転には既存の球団であるLGツインズと斗山ベアーズの両球団にSK同様フランチャイズ代償金を支払わなくてはならないが、SKからもらった資金は親会社の経営悪化と相まって全部球団の運営資金として使い果たしてしまった。また、当時はソウルに蚕室球場の他にプロの公式戦が開催できるような球場がなく、移転の前提だった新球場の建設の動きがまったくなかったため、どうにも出来ず名目上の本拠地はソウルでありながら水原市で主催試合を行う曖昧な状態が続き、結局解散するまでソウルに本拠地を移すことはなかった。 本拠地を移す余力をなくして代案として水原市に定着する案も挙がった。しかし、水原市はSKに譲渡した京畿道に所属するため、フランチャイズの新たな持ち主であるSK球団に、もらったフランチャイズ譲渡金の払い戻しを要求された。前述のように親会社が資金難で苦しむ中でSKへフランチャイズ譲渡金を返す余力もなく、水原市で試合を開催しながら、ソウルを本拠地を主張することで水原市民にもソウル市民にも支持を得られず、成績は上位でありながら、観客動員が伸びることはなく、人気低迷に拍車がかかった。 この本拠地問題は2000年代前半の韓国球界の悩みの種となり続けてきた。このような事情があって、保護地域出身の選手を優先的に指名できる縁故地ドラフトの1位指名にも参加できなかった(なお、縁故地ドラフトは2009年限りで廃止されたものの2014年に復活している)。
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