強姦殺害についての証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:18 UTC 版)
「ジョン・マギー」の記事における「強姦殺害についての証言」の解説
ある日、婦人を強姦しようとした日本兵が、婦人の夫を殺害した。マギーは裏庭でその遺体を見た。 現地の牧師に聞いたところでは、日本兵が80歳の牧師の母を外に連れ出し、着物をまくり上げろと命じると、自分はもう婆さんだからというと、射殺された 新開路事件:1938年1月終り頃、新開路六番地の家に行くと13人の家族のうち2人の子供をのぞく者が殺されていた。生存者の少女一人は約8〜9歳で、日本兵が入つて来た時に背中を二度刺され、その傷は写真に撮った。遺族の話によれば、約三十名の日本兵がやってきて、回教徒の家人が戸を開けると即座に殺さし、後ろにいた男とその妻を殺した。日本兵は14〜16歳の少女を広場の横へ連れて行こうとし、少女を保護しようとした父方の祖父母を殺したあと、強姦した。女の膣は竹の棒で突かれた。この少女が夏淑琴とされる。また、広場に面している他の家では、母親が一歳の子とベッドの下に隠れていたが、日本兵はその女を強姦した後、女と赤ん坊も殺した。遺体の膣には瓶が入れてあった。ある少女の話では、頭から日本刀で斬られた。この新開路での事件はマギーが行く6週間前に発生していたが、少女が強姦された机や殺された床の上には血が散乱していた。遺体は14歳の少女、16歳の少女、老婆の娘である一歳の嬰児の母があった。 1938年2月1日、日本兵が15歳の少女を監禁していると聞いたので、現場にいき、ドアを破って入ると、日本兵二人と少女がいた。一人は逃げ、もう一人は泥酔していた。少女は南京から約60マイルの浦口区の者で、少女の父によれば少女は5回強姦された。少女の話によれば、日本兵隊が浦口に来ると、少女の兄弟は兵隊であると日本兵がいうので違うといった。その兄弟の妻と姉が暴行を拒んだので銃剣で殺された。父母は兵隊の前に哀願したが、銃剣で殺された。少女は気絶し、どこかの営舎に連れて行かれ2ヶ月間監禁された。最初の1ヶ月は毎日暴行された。その後性病がひどくなったので、兵士は暴行をやめた。ある日泣いていると日本の一士官がやってきて尋ねられたので、事情を話すと、同情してくれて、約60マイルの南京金陵大学へ連れて行ってくれた。
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