強姦罪での有罪判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/12 07:04 UTC 版)
「アゴスティーノ・タッシ」の記事における「強姦罪での有罪判決」の解説
1612年、タッシは、オラツィオ・ジェンティレスキの娘で、自身も才能ある画家であったアルテミジア・ジェンティレスキを強姦したとして有罪判決を受けた。タッシは、当初は嫌疑を否定し、「私は、このアルテミジアと肉体関係をもったことは一度もないし、そのような関係を迫ったこともない ... アルテミジアの家で彼女と二人きりになったこともない」などと主張した。後には、彼女の名誉を守るために、彼女の家へ出向いたとも主張した。タッシには前科があり、それ以前にも義理の妹のひとりと、元妻のひとりに対する強姦で訴えられていた。当時のタッシの妻は行方不明となっており、タッシがごろつきを雇って殺させたのだと思われていた。 7ヶ月に及んだ強姦罪での裁判の中で、タッシが妻の殺害を計画していたこと、義妹と近親相関していたこと、オラツィオの絵画作品の窃取を計画していたことが明らかになった。裁判の結果、タッシは2年間投獄されることとなった。その後、この判決は破棄されて、タッシは1613年に自由の身となった。この裁判は、後に20世紀後半になってから、フェミニズムの立場からのアルテミジア・ジェンティレスキの再評価に影響を与えた。
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