張家軍とは? わかりやすく解説

張家軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「張家軍」の解説

禁軍将軍だった張俊童貫戦死後北京大名府拠点組織した独立勢力岳家軍同様に軍閥というべき存在創設当初から新兵加え大軍擁する梁山泊・金とは敵対し岳家軍とは不干渉南宋命令無視していた。金の傀儡国家「斉」に組し、斉禁軍号する離反南宋所属軍閥となる。 張俊楊令伝)張家軍の首領方臘の乱では畢勝指揮下で戦い、その才能高く評価された。乱後畢勝の遺した評価に基づき禁軍将軍抜擢される。梁山泊戦に参加し劉光世と共に暦亭戦線で戦うが、旧方臘軍率い韓成相手方臘戦でのトラウマ再発工兵隊水軍との連携にも追い詰められ大敗羌肆支援を受け脱出する童貫戦死後北京大名府拠点に張家軍を興し一国背負将軍になるという野心を抱く。独自に暗躍する扈成とは互いに利用しあう関係にあり、彼を介して斉へ合流、斉禁軍総帥となる。だが情勢変化により、抗金を叫んで南宋鞍替えする。 軍人としては非凡だが、身の処し方消極的な戦いぶりから劉光世からの評価はあまり高くない張俊もかつて同僚であった劉光世上司として仰ぐことをよしとせず、秦檜直属あるかのように振る舞う。その秦檜からは機を見るに敏であり評価すべき人材だが、信義が無い、と評価されている。戦力も数は多いが、食い詰め者が多いため一部除いて質は低い。自由市場展開して南宋追い詰める梁山泊軍岳家軍迎撃するが、対峙の間に兵站断たれたため潰走する。 史実でも南宋軍閥首領出自軍人ではなく匪賊いわゆる招安を受け南宋軍閥となった史実上の宋では招安受けた匪賊野盗が宋禁軍中でも大きな比率占めたが、本作では童貫劉光世方針のもと徴兵選別による精鋭主義が採られているという設定のため、それに従い張俊出自変更されている。 (岳飛伝引き続き長江北辺に展開、南宋前衛務める。後退戦術が得意でそこそこに精強な軍を維持していたが、秦檜の策により辛晃切り離され徐々に軍人としての牙を抜かれていく。臨安府召還され劉光世替わる時期禁軍総帥とされる実質的に秦檜傀儡化している。 厳徳楊令伝張俊副官。元は禁軍斥候隊に所属していた時期がある。「軍人命令従い行動する」という軍人として典型的な信念を持つ。裏で動き回る扈成嫌っている。 顔儀楊令伝張俊双頭山攻略戦の際、張俊厳徳会話の中で登場撤収する歩兵護衛命じられる辛晃楊令伝)元は賊徒。斉禁軍だった張俊討伐され、捕虜となる。後に彼の従者務める。 (岳飛伝)張家軍の精鋭指揮する優遇はされていなかった。それゆえ王貴指揮する商隊襲い、荷を強奪したことがある張俊に恩を感じていたが、勇猛さ失いつつある姿に失望秦檜意を受けた許礼説得により張俊から離れ独自に金軍と戦う。張家軍で培った後退戦術を得意とするが、兀朮には張俊まともに育てれば見事な軍人になったと評される人情捨てきれず素直な面もあるが、そこを許礼利用される形で朝廷の側へ組み込まれていく。金との講和成立後は南方制圧命じられ岳飛秦容相手に戦うことになる。岳飛との関係は悪くないといった相違点はあるが、出自など『岳飛伝』での辛晃史実における張俊に近い扱いとなっている。

※この「張家軍」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
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