評定衆
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評定衆(ひょうじょうしゅう)とは、鎌倉・室町時代に置かれた役職のひとつである。鎌倉時代においては幕府の最高政務機関であり、行政・司法・立法のすべてを行う最高機関だった。
- ^ 『吾妻鏡』嘉禄元年12月21日条に北条泰時以下の「有評議始」があったことが記され、『関東評定衆伝』も嘉禄元年から始まっていることを根拠にしているが、前者は前日に宇都宮辻子幕府に将軍御所が移されたことを受けており、後者には嘉禄元年以後に『吾妻鏡』に初登場する人物(嘉禄元年段階では幕府要人とは呼べない人物)が含まれる上、嘉禄2年以後「未詳」とされる6年分を挟んで全く同じ人物が貞永元年(1232年)の記事に登場する(なお、『関東評定衆伝』の貞永元年条の評定衆名簿と『吾妻鏡』貞永元年7月10日条に記載された評定衆名簿は一致している)。このため、嘉禄元年条の記事は貞永元年の史料を元にした作為記事の可能性がある。ただし、体制改革の必要を迫られた1225年前後に新しい体制に対応するための評定衆の制度が開始され、1232年の段階で今日知られる体制になったと考えられている。(佐々木文昭「鎌倉幕府評定制の成立過程」(初出:『史学雑誌』92編9号(1983年)、所収:『中世公武新制の研究』(吉川弘文館、2008年) ISBN 978-4-642-02877-6 第二部第四章)
- ^ a b 永井 2006, p. 107.
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