北条斎時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 01:17 UTC 版)
北条 斎時(ほうじょう なりとき[2])は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将。北条氏の一門。伊具流・北条通時の子[1](異説として伯父の北条時基を父とする系図もある[1])。初名は時高(ときたか)[1]。改名後の名は「齊時」(新字体:斉時)とも表記される[1]。
- ^ a b c d e f g h i 『尊卑分脈』より。
- ^ 正確な読み方は史料がなく不明であるが、細川、2011年、P.65に掲載の振り仮名に従っておく。
- ^ 改名については『尊卑分脈』に書かれており、徳治2年(1307年)1月28日の引付改編までは「時高」、延慶2年(1309年)3月15日の引付改編の段階では「斎時」と名乗っていたことが確認される(『鎌倉年代記』)。同じく延慶2年には得宗家嫡子の北条高時が元服しており(『鎌倉年代記』)、その「高」の字を避けての改名とみられる(→避諱、細川・2000年・巻末「基礎表」P.45・46)。但し、子の高有に関しては逆に高時の偏諱を受けているようである。この時代は「得宗(高時)→御家人」に「高」の字が授与される図式が成立していたことが近年の研究で指摘されている(角田朋彦 「偏諱の話」(再興中世前期勉強会会報『段かづら』三・四、2004年、p.21))。
- 1 北条斎時とは
- 2 北条斎時の概要
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