建設後の推移と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 02:13 UTC 版)
1917年9月に水利権許可を得た時点での串原発電所の使用水量は400立方尺毎秒(11.13立方メートル毎秒)であり、1921年に竣工した(本)発電所の出力は5,720キロワットであった。その後設備能力に余裕があるとして水量増加が申請され、1935年(昭和10年)7月に使用水量を415立方尺毎秒(11.55立方メートル毎秒)とする許可を得た。この取水増加に伴い、1938年(昭和13年)8月に発電所出力は5,720キロワットから6,240キロワットへ引き上げられている。 1939年(昭和14年)4月1日、電力国家管理の担い手として国策電力会社日本発送電が設立された。同社設立に関係して、大同電力は「電力管理に伴う社債処理に関する法律」第4条・第5条の適用による日本発送電への社債元利支払い義務継承ならびに社債担保電力設備(工場財団所属電力設備)の強制買収を前年12月に政府より通知される。買収対象には串原発電所を含む14か所の水力発電所が含まれており、これらは日本発送電設立の同日に同社へと継承された。 太平洋戦争後、1951年(昭和26年)5月1日実施の電気事業再編成では、日本発送電から中部電力へと譲渡された。出力は6,240キロワットのままである。 1970年(昭和45年)、建設省(現・国土交通省)により多目的ダムとして矢作川本川に矢作ダムが建設された。この矢作ダム建設地は串原発電所の約1キロメートル下流にあたり、ダム建設にあたって取水堰・水路・水槽・発電所建屋など全施設がダム湖に水没する位置であった。発電所建屋が水没する段戸川の和戸発電所(旧・旭発電所)とともに水没補償対象とされ、ダム完成に先立つ1968年(昭和43年)9月6日付で和戸発電所とともに廃止された。
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