建設後の大井発電所の変遷とは? わかりやすく解説

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建設後の大井発電所の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:51 UTC 版)

大井ダム」の記事における「建設後の大井発電所の変遷」の解説

大井発電所使用水量は、建設当初最大4,500立方毎秒(125.22立方メートル毎秒)に設定されていたが、設備能力余裕があるため5,000立方毎秒(139.13立方メートル毎秒)へと引き上げ許可得て1938年昭和13年9月発電所出力を48,000キロワットへと増強した。 翌1939年昭和14年4月1日電力国家管理担い手として国策電力会社日本発送電設立された。同社設立関係して大同電力は「電力管理に伴う社債理に関す法律第4条第5条適用による日本発送電への社債元利支払い義務継承ならびに社債担保電力設備工場財団所属電力設備)の強制買収前年12月政府より通知される買収対象には大井発電所など14か所の水力発電所含まれており、これらは日本発送電設立同日同社へと継承された。 太平洋戦争後、1951年昭和26年5月1日実施電気事業再編成では、大井発電所はほかの木曽川発電所とともに供給区域外ながら関西電力へと継承された。日本発送電設備帰属先発生電力の主消費地によって決定するという「潮流主義」の原則に基づき木曽川筋の発電所関西電力所管となったことによる関西電力時代1963年昭和38年)から1969年昭和44年)にかけて、大井発電所では水車が4台とも三菱重工業製のものに更新された。更新前のアリス・チャルマーズ製水車4台のうち1台は、1968年名古屋市科学館開催された「電力王・福沢桃介生誕100年展」を機に科学館へと寄贈されている。また水圧鉄管についても1977年昭和52年)に、川崎造船所製のリベット接合管から三菱重工業製の全溶接管へと更新された。さらに1997年平成9年11月にはリフレッシュ工事竣工し発電所出力が4,000キロワット引き上げられた。以後発電所出力5万2,000キロワットとなっている。

※この「建設後の大井発電所の変遷」の解説は、「大井ダム」の解説の一部です。
「建設後の大井発電所の変遷」を含む「大井ダム」の記事については、「大井ダム」の概要を参照ください。

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