建屋内の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:31 UTC 版)
客は入口に履物を預けて入場。下足番の従業員が入る人数分下足札を机でパチリと鳴らし、中の従業員は人数分の座布団を用意する。入口から廊下が客席の中央を高座に向かって伸びており、座布団等を運んでくる。戦前は、出演者もここを通って高座に上がっていた。 定員は250名程度だが客席は座布団に座る畳席で左右も桟敷席なので、混雑時は多少の詰め込みが可能であった。 楽屋は、高座の下手(客席から見て左)側ソデにあった。上手(客席からみて右)側ソデに下座(三味線、太鼓、笛などのお囃子)の鳴り物部屋があり、鳴り物部屋のとなりの楽屋口(高座上手側の一番奥)を入ると高座の後ろに廊下があり、中程の右側に女中部屋。廊下突き当りの階段を上がると楽屋である。トイレは鳴り物部屋の隣にあり、客と関係者の共用だった。客席上手側の桟敷の裏に廊下を挟んで高座寄りに下座と前座の部屋があり、玄関寄りがロビーである。 冷房設備は無し。夏場は戸板や羽目板を風通しの良いものに交換した。戦後天井に大型のファンが付いたが、ゆるゆる回って空気をかき混ぜるだけであった。暑いので、8月一杯は休席である。 冬場の暖房は、客には小さな手あぶりの火鉢を有料で貸し出した。楽屋には大きな銅製の火鉢。使用する炭は休席中の8月一杯掛けて従業員がのこぎりで大量に切って用意した。隙間風が多く、慣れた客の中には手あぶりの火鉢にコートをかぶせて即席のコタツにする人もいた。楽屋も寒く、8代目桂文楽はあまりの寒さに楽屋でコートを羽織ったままでいたことがある。 マイクロフォンやスピーカーなどの電気的な音響設備は最後まで無かった。反響を良くする為に高座の床下に大きな甕が複数埋め込んであり、生の声でも正しい発声をしていれば隅々まで声が届く話しやすい寄席だったと10代目柳家小三治は語っている。
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