府中白波会
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原田 秀雄(はらだ ひでお) 声 - 石塚運昇(第1・2期)→三宅健太(第3期) / 演 ‐ 國村隼 府中白波会の会長。千早と太一にとって師匠であり、彼等を含めた会のメンバーには「先生」と呼ばれる。本業は開業医で、「原田内科・小児科」という医院を経営している。 自身もA級選手であり、その風貌・戦いぶりから須藤に「知的な熊」と喩えられる。50歳を過ぎても本気で名人を目指しており、勝つための執念や強欲さも千早の師匠を思わせる。なお、そもそも自身の会を興した理由も「自身が強くなるため」であった。 相手への威嚇や士気鼓舞のため競技中に声を張り上げたりするなど、他の競技者に対しても迷惑な言動や行為が目立ち、本気で原田を恨んでいる人物は多い。太一は実質的に白波会から距離をとっていても、名人戦予選で苦手な原田との対戦を避けるため敢えて同会所属で申請している。 指導者としての資質は高く、ちはやへの指導で「早く取るのをやめなさい」と敢えて取り柄を封印させ、「正確に取ることの大切さ」を学ばせている。また、太一がなかなか昇格出来なかった時期も運の無さに腐らず、昇格規定を満たしても申請しない太一の態度を気に入り、高校選手権個人戦B級優勝での昇格を決めた際には盛大に祝った。 挑戦者として名人戦で周防に挑むが激戦の末敗れ、準名人となる。しかし最後の一戦で燻っていた周防の本気と対戦者への敬意を覚醒させる。 若いころも準名人になったことがあるが、医者になりたてのころの赴任先が沖縄や北海道といった競技かるたがほとんど行われていない土地柄の場所のため、最も脂の乗り切った時期を棒に振った過去がある。 モデルは、府中白妙会会長の前田秀彦七段。 坪口 広史(つぼぐち ひろし) 声 - 高橋研二 / 演 ‐ 田村健太郎 府中白波会所属のA級選手。会一番の実力者で、作中では名人戦東日本代表になっているが西代表の武村に敗れる。 かるたのスタイルは、原田の影響を強く受けた攻めがるた。作中で新と対戦した際、新から「原田先生が奥にいる」と評されている。 大学卒業後は高校教師になり、朋鳴高校かるた部の顧問となる。 綾瀬 千早(あやせ ちはや) 詳細は「#綾瀬 千早」を参照 真島 太一(ましま たいち) 詳細は「#真島 太一」を参照 筑波 秋博(つくば あきひろ) 詳細は「#筑波 秋博」を参照 筑波 冬政(つくば ふゆまさ)、春臣(はるおみ)、夏総(なつふさ) 声 - 安済知佳(冬政)、杉浦奈保子(春臣)、佐藤恵(夏総) 筑波秋博の年子の弟たち、初登場のときは上から11歳、10歳、9歳で兄である秋博を「マイヒーロー」と思っている。秋博と一緒に府中白波会に所属する。 白波会に所属した当初の実力は次男の冬政と菫がほぼ互角。 北海道に住んでいた時代は兄の秋博と一緒に下の句かるたのチームを組んでいた。 花野 菫(はなの すみれ) 詳細は「#花野 菫」を参照 木梨 浩(きなし ひろ) 小学生時代に在籍詳細は「#木梨 浩」を参照
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府中白波会(ふちゅうしらなみかい)
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