府中町成立前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:16 UTC 版)
奈良・平安時代に備後国府が現在の府中市中心部付近に置かれた。 1619年(元和5年) : 徳川家康の従兄弟水野勝成が西国鎮衛の役目を命じられ備後国東南部・備中国西南部の十万石に転封 現在の市域のうち旧御調郡を除く地域は備後福山藩領となる。 1698年(元禄11年) : 5代藩主水野勝岑の死去により、無嗣除封。この時に旧甲奴郡分は天領となる。天領支配のため上下陣屋が設けられる。 1699年(元禄12年) : 松平忠雅が福山に転封。 1710年(宝永7年)松平忠雅が福山から移封。 阿部正邦が福山に転封。 1845年(弘化2年) : 阿部正弘が幕府老中首座に就任。 1871年(明治4年)明治維新・廃藩置県により旧福山藩領と神石郡の一部を持って福山県設立。 福山県から深津県へ名称変更。 1872年(明治5年) : 深津県と倉敷県が統合し小田県設立。それに伴い、県庁は笠岡に移転。 1875年(明治8年) : 小田県が岡山県へ編入。 1876年(明治9年) : 岡山県より旧備後国沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡が広島県に移管。
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