府中通り大山道とは? わかりやすく解説

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府中通り大山道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 09:27 UTC 版)

大山道」の記事における「府中通り大山道」の解説

現在の埼玉県春日部市から東京都府中市経て大山へ向かうものである1616年元和2年)に死去した徳川家康遺骸翌年久能山静岡県静岡市)から日光へ移すことになり、江戸幕府はその一行が通る小野路村東京都町田市)に道を整備するように命じた。この時、小野路一里塚築かれた。大山講が盛んになると、小野路宿場として栄えようになった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}幕末期には近藤勇土方歳三沖田総司ら後の新選組浪士調布からこの小野路村名主小島家小島資料館)まで剣術出稽古通ってきたという[要出典]。埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線近似したルート辿っている。 経路日光街道粕壁宿埼玉県春日部市) - 岩槻以降さいたま市) - 大宮 - 中山道浦和宿 - 荒川羽根倉の渡し又は秋ヶ瀬の渡し - 宗岡村志木市) - 清戸東京都清瀬市) - 東村山東村山市) - 甲州街道府中宿府中市) - 中河原関戸)の渡し多摩川) - 関戸以降多摩市) - 乞田 - 瓜生 - 小野路以降町田市) - 図師 - 木曽 - 境川 - 淵野辺神奈川県相模原市) - 磯部猿ヶ島)の渡し相模川) - 猿ヶ島以降厚木市) - 下川入村 - 三田村 - 八王子通り大山道経て大山へ

※この「府中通り大山道」の解説は、「大山道」の解説の一部です。
「府中通り大山道」を含む「大山道」の記事については、「大山道」の概要を参照ください。

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