平原遺跡出土鏡とは? わかりやすく解説

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平原遺跡出土鏡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:01 UTC 版)

大型内行花文鏡」の記事における「平原遺跡出土鏡」の解説

昭和40年1965年)に確認され発掘調査された平原遺跡1号墓平原弥生古墳出土の、直径46.5センチメートル大型青銅鏡発掘した原田大六はその出土状況から、「故意破壊されたのではなくなんらかの事故によって、破砕した鏡片を集めて、四か所に分けて埋納したらしい」と報告している。 通常の内行花文鏡とは異なり、鏡背に銘字はなく、文様のみの銅鏡である。その文様は、鏡背中心の鈕を囲んで八葉形の鈕座があり、その周囲に8個の内行花文、9本の同心円外縁部を配す。鏡の縁には、縦に背面から正面に約1,500本の弧状線があり、鏡面正面)となる。 発掘者の原田大六はその文様から「内行花文八葉鏡」と名付けている。平原遺跡での出土数は発見発掘時には4面報告されていた。 原田は、出土した破片は「発見時の破片からほぼ完形状態の2面復元でき、学術調査による発掘で獲られた破片からは、3分の2の状態の鏡しか復元できなかった」と報告している。鏡の中心部である鈕は4個の出土である。これらのことから原田は「内行花文八葉鏡は4面である」と結論している。 平成前原市再調査の際、大型内行花文鏡4面のうちの1面12号鏡)には、他の破片との接合箇所不明な辺縁部の破片確認されたして、前原市教育委員会依頼により、奈良文化財研究所が、鉛同位体比法や発光分光分析により、当該破片12号鏡とは別個体属するものである、とする可能性指摘された(該当部位12号鏡のみによる比較分析試験による結論)。 1990年重要文化財指定時には平原遺跡出土銅鏡員数大型内行花文鏡4面含め、計39面分とされていたが、上述調査結果をふまえ、2006年国宝指定時の官報告示では、銅鏡員数1面増えて40面分」となっている。 この「内行花文八葉鏡」の直径46.5センチメートルとは、漢の時代寸法でいうと「二尺」となり、この直径では円周が「八咫」となる。 原田大六はこの円周八咫」と『神道五部書』の『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』の八咫鏡記述八頭花崎八葉形」と図象が類似すること、また『延喜式伊勢大神宮式や『皇太神宮儀式帳』において鏡を納める式の内径が「一尺六寸三分」(約49センチ)であることから、この銅鏡伊勢神宮御神体八咫鏡同型の鏡であると主張している。 大型内行花文鏡のうち4面伊都国歴史博物館常設展示品はレプリカ)で、また1面九州国立博物館常時展示されており[要出典]、実物を見ることができる。

※この「平原遺跡出土鏡」の解説は、「大型内行花文鏡」の解説の一部です。
「平原遺跡出土鏡」を含む「大型内行花文鏡」の記事については、「大型内行花文鏡」の概要を参照ください。

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