布石の歴史とは? わかりやすく解説

布石の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 23:10 UTC 版)

布石」の記事における「布石の歴史」の解説

室町時代までは、盤上に隅の星の位置に白黒の石を2子ずつ置いてから対局始め事前置石制互先置石制)が主流であったため、現代風の布石概念無く最初から戦いが始まるのが一般的だった室町後期から盤上何もない状態から対局開始される由布石が広まり布石呼ばれる段階発生した本因坊算砂などの時代にはこの対局方法広まり、隅への着点も小目高目目外しなどが主流となる。江戸時代になると家元制の下で、「一に空き隅、二にシマリカカリ、三に辺」の布石理論固まっていった。またこの時代に、隅の定石整備され布石と一体となって発展していった。本因坊道策全局的な視点と手割論による合理的な布石法を生み出しその後布石進歩大きく貢献した江戸末期本因坊秀和本因坊秀策らの時代にこの布石法は頂点達し秀策流の名も残っている。 江戸中期の7世安井仙知の中央重視布石や、明治期本因坊秀栄スピード重視した打ちなど、新し考え方も少しずつ広がった昭和初期には木谷実呉清源らが新布石発表し、まったく新しいスタイルとして大流行起こした新布石それまで小目中心布石から星、三々中心にすえたスピード感あふれる布石であり、また旧来の考え方からは想像出来ない初手天元五の五などの大胆な発想一世を風靡し囲碁界のみならず一般社会巻き込んで一大センセーション巻き起こしたその後新布石それ以前の旧布石融合し現代の布石至った。また現代においてコミ導入影響により、黒番ではより攻撃的な布石目指されるように変わった三連星中国流などシステム化された布石数多く生まれている。近年では、武宮正樹による中央重視の「宇宙流布石」が、世界囲碁界インパクトもたらした中国流の、隅のシマリより辺のヒラキ優先する発想また、その後布石進化大きな影響与えている。 中国では清代明治期)に日本の自由布石が伝わり事前置石制から移行した韓国では巡将碁呼ばれる事前に16子を置く事前置石制主流だったが、戦後日本修行した趙南哲が自由布石法を広めた両国とも1980年代には棋力レベル日本肩を並べそれぞれ独自の布石研究進んだ

※この「布石の歴史」の解説は、「布石」の解説の一部です。
「布石の歴史」を含む「布石」の記事については、「布石」の概要を参照ください。

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