新布石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 06:19 UTC 版)
新布石(しんふせき)は、1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
- ^ a b c d e “囲碁 新布石発祥の地”. 地獄谷温泉後楽館. 2023年6月2日閲覧。
- ^ 呉清源 (2009年7月28日). “呉清源師の生涯一局(4)名人相手に「三々、星、天元」(寄稿連載)その二”. 読売新聞. 2014年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月21日閲覧。
- ^ a b “日本囲碁連盟 | 囲碁用語「新布石」”. www.ntkr.co.jp. 2023年6月2日閲覧。
新布石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 23:10 UTC 版)
中央への勢力と、隅は星、三々を占めることによるスピードを重視した布石(新布石の項参照)。昭和初期に勃興し、中央重視の流れから、さまざまなスタイルが試みられた。木谷らはその後旧布石に戻ったが、呉や高川格など星打ちを中心にした布石を続けた者も多い。特に黒番での二連星と一間高ガカリの組み合わせは呉が十番碁などで用いて、他の棋士も多用したため、「秀策の一、三、五」になぞらえて「昭和の一、三、五」と呼ばれた。 小杉丁(黒)-呉清源(1933年) 昭和の一、三、五の布石
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新布石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:40 UTC 版)
1933年(昭和8年)に信州地獄谷にて木谷實と議論を重ね、1934年安永一四段執筆により『囲棋革命・新布石法』を出版した。三々や星に打つ発想は隅の小目からシマリが絶対とされていた当時大きな反響を呼んだ。 詳細は「新布石」を参照
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