市営電気供給事業の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:32 UTC 版)
「金沢市営電気供給事業」の記事における「市営電気供給事業の成立」の解説
上記のように金沢電気創業前に市営電気供給事業を計画していた金沢市は、飯尾次郎三郎市長(1919 - 1922年在任)の時代に再び市営事業を志し、1920年(大正9年)に飯尾と当時の金沢電気瓦斯社長小池靖一との間で交渉を持った。3月に発生した戦後恐慌を背景に小池が市営化交渉に応じたことから、飯尾は市会に「電気瓦斯事業市営調査会」を設置して調査・交渉に着手した。 金沢市側は、先に電気供給事業市営化が成立した神戸市の例を踏まえて直近3年間の平均配当額の20倍にあたる633万円を買収価格を掲示した。一方会社側は地方鉄道買収法に沿った、過去3年間の平均利益の20倍にあたる935万円での買収を主張し、交渉ははかどらなかった。その後早川千吉郎・前田利為・横山隆俊らの仲介により、買収価格を市の主張に沿ったものとするが、市から会社側へ7分利付き90円替えの市債を交付するということで妥協が成立、翌1921年5月27日買収契約締結に至った。同年6月14日、買収契約が市会と会社側の株主総会でそれぞれ可決される。また市営化が適当でない市外郡部地域の事業については市内電車を営む金沢電気軌道への売却が決まった。 上記手続きを経て、1921年10月1日に金沢電気瓦斯の事業は金沢市ならびに金沢電気軌道へと譲渡された。同時に金沢市営電気供給事業およびガス供給事業が成立する。金沢市では両事業の担当部局として「電気局」を開設、さらに買収資金とその後の資金調達のため額面金額939万4800円の市債を発行し、うち金沢電気瓦斯に663万3700円を交付した。市営化後、市では10月10日から15日にかけて「電気市営祝賀デー」と称する記念イベントを開催し、市内各地でイルミネーションや花火、パレード、花電車運転、飛行機の祝賀飛行などが行われた。 事業継承時、電灯供給は需要家数3万1608戸・9万6501灯、電力供給は電動機用電力2390.5馬力(1,783キロワット)・その他電力3,391.1キロワットであった。うち電力供給では、他の電気事業者、鶴来町営・向島電気・小松電気・大聖寺川水電・能登電気・金沢電気軌道・金石電気鉄道の7社への供給が確認できる。さらに市営化後ほどなくして、金沢・七尾間の送電線から分岐して穴水へ至る分岐線が完成、穴水で能登電気・能州電気への供給が始まった。
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