工芸専門学校、アテネウムとは? わかりやすく解説

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工芸専門学校、アテネウム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:36 UTC 版)

トーベ・ヤンソン」の記事における「工芸専門学校、アテネウム」の解説

1930年5月15歳トーベ学校自主退学し9月30日ストックホルム工芸専門学校英語版)に入学する女子学生クラスB部で美術学生として広告デザイン勉強始め技法授業を特に楽しみとした。型にはまった授業や生活には慣れなかったが、芸術家目指す仲間との出会い楽しんだ家計助けたいという考えもあり、進級について悩み続けた進級後は美術工芸印刷学び1933年修了した際には装飾絵画で最高成績与えられた。絵画クラスには名物教授として知られるオスカル・ブランドベリがおり、ブランドベリはトーベテンペラ画見て美大への受験すすめた。しかし、トーベ美大受験せず、卒業後は家族のもとへ帰ることを決める。トーベ1933年工芸専門学校卒業した際、旅費問題でシグネは卒業式出席できなかった。 帰国後のトーベ家族暮らしヘルシンキにあるフィンランド芸術協会美術学校英語版)(アテネウム)に通った。アテネウムもトーベにとって居心地良くなかったため、休学をへて夜間コース選んだ。アテネウムに通いながらイラスト装飾画の仕事もした。文章書き続けており、1934年には最初短編小説大通り』を執筆して雑誌掲載したトーベ1935年画家のサミュエル・ペプロスヴァンニ(サム・ヴァンニ(英語版))と知り合い交際したトーベサミュエル題材とした木炭画カレワラ風の作品制作しサミュエル1940年トーベ肖像木炭画描いたトーベサミュエル芸術家として尊敬したが、サミュエル喋りすぎる癖は苦手だった。のちに恋人となるタピオ・タピオヴァーラ(フィンランド語版)ともアテネウムで出会っている。タピオフィンランド語母語とする初めての親し友人だった。 アテネウムの絵画コースでは性差別経験した男性優先されクラス女性減っていき、トーベとエヴァ・セーデルストレムの2人だけとなったトーベ1935年春の絵画コース1等獲得したが、12月展示では男性作品良い場所に飾られた。校内起きたフィンランド語スウェーデン語に関する言語闘争トーベ悩ませた。トーベは「ここで続けて何にもならない」と日記書き学生仲間とタハティトルニ通りアトリエ構えた。ここがトーベにとって最初自分アトリエとなる。欠席休学繰り返してアテネウムを卒業したあとは、より自分合った自由芸術学校入学した。この学校現代美術動向国際性重視しており、トーベはヒャルマル・ハーゲルスタム(フィンランド語版)らに学んだ。のちにトーベはハーゲルスタムのアトリエを使うことになる。1935年画家協会会員1937年には芸術協会会員となった1930年代には、ヤンソン一家芸術家一家として取材を受けるようになった

※この「工芸専門学校、アテネウム」の解説は、「トーベ・ヤンソン」の解説の一部です。
「工芸専門学校、アテネウム」を含む「トーベ・ヤンソン」の記事については、「トーベ・ヤンソン」の概要を参照ください。

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