岡田派主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 02:31 UTC 版)
詳細は「崇教真光」を参照 2代教え主岡田恵珠。神名聖珠は6/13の継承時に初代より示された神名だが世界総本山建立時に初めて発表された。2002年6月、2代教え主代理に岡田晃弥が就任。御神体調整等の霊の面を恵珠が、日々の式典斎主や世界恢弘の体の面を教え主代理が担当。2009年6月23日をもって3代教え主として、晃弥改め晃央が就任。 裁判中に岡田派は初代昇天4年後の1978年、御神示の基、崇教真光を設立。真光教団指導者の正当なる後継を主張して争っていたため分派の意識はない。6/13初代に下ったとする重大神示および初代の遺言に従い、位山に世界総本山奥宮を高山に世界総本山を建立したとされる。 島田嘉則によると継承問題については、一貫して岡田は二代教え主代理・補佐と説明、あらゆる争いも良しとせず対話による解決を望んだ模様。そういう岡田の姿勢が裁判では不利に働いたと述べている。係争中も初代の教え「人は人を裁けず、裁くは神のみ」をひたすら守り、訴えられても不利を承知で御神示の証拠提出を拒み幹部に対しては今は唯耐える時・神向者争うべからず、唯神意のまにまにと厳しく戒めていたとのこと。 通夜の席での発表内容は関口派理解内容による同意念書が混乱のうちに作成された。実際のアナウンスは念書の通りだったのか、同席者しかわからない。念書の通りであれば同席者全て関口を教え主とし、岡田を教え主とする崇教真光についていく人はいなかったのか、興味深い。 日本武道館での教団葬では進行プログラムに二代教え主の発表は予定されていなかった。突如司会者に二代関口発表の指示が書かれたメモが手渡されたが、司会者はそのようなはずがないと二代は恵珠と発表するも、(指示と)違うだろと罵声が飛び再度壇上に上がり二代は関口と訂正した。誰が発表を誘導し関口に挨拶をさせたのか。これについても岡田は裁判で証言することはしなかった。 弁護士大野の書物にもあるように、解釈により正反対の結果が出てしまう難しい問題で、島田も書籍の中でどちらか一方の団体を非難するものではなく、両者共通の敵は反宗教を標榜する共産主義であると述べている。
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