山縣神社
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山縣神社(やまがたじんじゃ)もしくは山県神社は、山梨県甲斐市にある神社。
- ^ 山縣神社やまなし観光推進機構「山梨の歴史を旅するサイト」
- ^ a b c d 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、215-217p
- ^ a b c d 山縣神社山梨県神社庁
- ^ 山縣神社(やまがたじんじゃ)やまなし観光推進機構「富士の国やまなし観光ネット」
- ^ 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』昭和初期の「山縣神社」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、2017年10月21日閲覧。(2022年5月22日)
- ^ 山縣神社本殿文化庁
- ^ 山縣神社鳥居文化庁
- ^ 山梨の文化財ガイド(データベース)書跡03山梨県
- ^ 山県大弐の墓甲斐市
山県神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:52 UTC 版)
山県神社(やまがたじんじゃ)は山県大弐を祭神として、山梨県甲斐市篠原に鎮座する神社である。また、山県大弐は江戸に塾を開き儒学、医学、兵学など多くを伝えたことから地元では「学問の神様」とされ合格祈願・学業成就を主に参拝されている。 1880年(明治13年)の明治天皇山梨御巡幸に際し、山県大弐の祭典執行について祭祀料が6月21日に賜れるとともに、6月22日には金剛寺の山県大弐の墓地に勅使が遣わされている。1891年(明治24年)12月17日には特旨を以て正四位が追贈された。1901年(明治34年)には山県神社創設を目的とし、山梨県知事を総裁とする山県会が設立され逐次寄附金の募集が行われた。その後、1919年(大正8年)9月8日に山県神社奉建会が設立され、1921年(大正10年)に山県大弐の墓所がある中巨摩郡竜王村篠原の金剛寺隣接地に社殿が造営され神社が創建された。 山県神社は甲府市の武田神社などと同様に1921年(大正10年)9月21日に県社に列せられ、1933年(昭和8年)11月26日に発足した山県神社奉賛会によって運営が行われた。武田神社と比べて現在は県内における知名度は劣るが、当時の例大祭では露天が並び神楽や相撲大会をはじめさまざまな行事が行われ、戦前には地域の竜王尋常高等小学校などの早朝参拝が行われ、出征兵士を送る壮行会や神前報告が行われる場として機能していた。戦後には一度奉賛会が解散し、1964年(昭和39年)には当時の竜王町が新たに奉賛会を発足させ、歴代町長が奉賛会長を務め自治会単位で理事が選出され、古くからの総代会とともに神社運営にあたっている。 現在例大祭は神社が創建鎮座された日にちなみ秋分の日(9月23日)に行われ、山県大弐に扮した仮装行列や神輿が参道を練り歩く市の「大弐学問祭」が盛大に開催されている。 (山県神社位置)
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