山形県酒田市 局とは? わかりやすく解説

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山形県酒田市 局(つぼね)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:06 UTC 版)

「局」の記事における「山形県酒田市 局(つぼね)」の解説

名称の由来一説として、6世紀出羽三山修験道開いたとされる蜂子皇子にちなむ伝説に基づくとされているものがある。皇子日本海北上して鶴岡三瀬上陸し八人乙女三本足カラス導かれて羽黒山着いた話が定説となっている。しかし、当地に伝わる皇子伝説では、皇子上陸したのは酒田市日和山公園対岸宮野浦であったとされている。付き人女性いわゆる「局の方」と一緒に最上川沿って羽黒向かったが、お供の「局」は途中、この地に留まり「庵(いおり)」を結んで開村したことから「局」の地名誕生のもととなる。 地元郷土史に詳しい石井正三は、 この由来は局今井右衛門家に伝わる1870年(明治3年)の文書記される。またの伝え付き人の『局の方』は、羽黒へ行く途中、病に倒れて亡くなり、この地に祭られた。さらに皇子修験の山を開き女人禁制定め羽黒連れて行く訳にはゆかず、単身入山した伝えもある。その伝説の発祥は、集落古くから皇子と局を祭る『皇太神社』が基を成している。いつの時代にか史実めいた物語として伝わった定説乏しく鶴岡三瀬皇子とともに語られることが好ましい と語っている。また、山形県文化財保護協会文化財専門委員佐藤昇一は、 1691年(元禄4年)の絵図には局地名が既に記されており、かなり古くから集落存在したらしい。さらに隣の門田村との間には『小局』という地名見え伊勢神宮から分霊した社を祭ったことで『おせど』とも呼んだ当初新潟から訪れた村上一族住み着き、後に局移住している。そして局や皇子ゆかりの神社信仰寄せ地名大切に守り伝えた推測する語っている。 局の方が住んだ庵(いおり)はのちに、円玉山浄善寺という寺に代わる鎌倉期作られ聖観音立像祭ったことから「局の観音堂」とも呼ばれ戦国時代余目支配した安保(あぼう)氏の戦勝祈願栄えた。しかし、1601年(慶長6年)、最上義光攻撃遭ってお堂消失したが、観音像は難を逃れ今現在も局集落ルーツを探る貴重な仏像として保存されている。 また、名称の由来別説として「局」とは狭くて低い土地を指すとされ、「局地」や「窪地」といった意味が含まれる地形地名説があるともいわれている。

※この「山形県酒田市 局(つぼね)」の解説は、「局」の解説の一部です。
「山形県酒田市 局(つぼね)」を含む「局」の記事については、「局」の概要を参照ください。

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