今宿古墳群とは? わかりやすく解説

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今宿古墳群
丸隈山古墳
大塚古墳
鋤崎古墳
飯氏二塚古墳
兜塚古墳
山ノ鼻一号墳
若八幡宮古墳

名称: 今宿古墳群
 丸隈山古墳
 大塚古墳
 鋤崎古墳
 飯氏二塚古墳
 兜塚古墳
 山ノ鼻一号墳
 若八幡宮古墳
ふりがな いまじゅくこふんぐん
 まるくまやまこふん
 おおつかこふん
 すきさきこふん
 いいじふたつかこふん
 かぶとづかこふん
 やまのはないちごうふん
 わかはちまんぐうこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 福岡市西区大字周船寺今宿町大字今宿青木大字飯氏大字徳永
管理団体 福岡市(昭3・919)
指定年月日 1928.02.07(昭和3.02.07)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成16.04.05
解説文: 福岡市西部博多湾西側には今宿平野呼ばれる小平野が所在する東西3km南北1.5kmに及ぶ平野部とその背後にある丘陵部には、11基の前方後円墳350基以上の群集墳良好に残存し、ひとつの古墳群形成している。
これまで指定され前方後円墳は3基ある。4世紀後半鋤崎古墳はこの古墳群では東端位置し全長62mを測る主体部採用されている横穴式石室列島における出現期のもので、長方板革綴短甲はじめとする武器類青銅鏡などの副葬品は、前期から中期への過渡的な状況を示す貴重な例である。5世紀前半丸隈山古墳全長84.6mを測り、墳丘規模はこの古墳群最大である。主体部である横穴式石室鋤崎古墳に次ぐ型式のものである6世紀前半大塚古墳全長64mで、盾形二重の周濠含めた規模は約100m達する。主体部は未調査であるが、周濠からは多量円筒埴輪形象埴輪出土確認している。いずれも九州北部地域古墳時代動向を知る上で重要であることから史跡指定された。福岡市教育委員会では昭和55年以降周辺前方後円墳について確認調査等を継続的に実施してきており、ほぼ全容明らかにした。
今回追加指定するのは、そのうち前方後円墳4基である。山ノ鼻一号墳4世紀半ばで、この古墳群の中では最も古く位置付けられ全長は37mを測る若八幡宮古墳古墳群中央位置する4世紀後半全長47mを測る古墳である。木棺直葬主体部からは三角縁神獣鏡方形板革綴短甲等が出土した兜塚古墳古墳群西側所在し築造時期5世紀後半で、前方部一部損壊受けているが全長53m以上を測る横穴式石室からは馬具や玉類、鋲留短甲考えられる鉄片などが出土している。飯氏二塚古墳古墳群西端位置する時期5世紀末から6世紀初頭で、全長は48mを測り、横穴式石室からは金銅馬具や玉類が出土している。そして、6世紀前半以降は、前方後円墳築かれるものの20から40m程度小型のものとなり、立地丘陵上に移動することから、この時期首長在り方変化したことを示している。
今宿平野では、4世紀半ばから6世紀前半までの約150年間、消失したものを含めると13基の前方後円墳築造された。同一地域の中で古墳時代通して前方後円墳継起的に築造される例は全国的に珍しく、その上初期横穴式石室をもつものや甲冑保有するものがある。この地域大陸文化受容する門戸位置していることを考えると、これらの古墳九州北部地域における古墳時代政治動向だけでなく、大陸畿内中央政権との関わりを知る上でも重要である。よって、既指定の3基の前方後円墳統合するとともに新たに4基の前方後円墳追加指定し、「今宿古墳群」と名称を変更し一体的保護図ろうとするものである
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