小笠原群島の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 09:19 UTC 版)
「小笠原諸島の自然」の記事における「小笠原群島の形成」の解説
今から約5000万年前、太平洋プレートがフィリピン海プレートの東縁に沈み込みを開始したことにより、フィリピン海プレートは東側に引っ張られる形となって拡大を開始した。その結果、高温のマントル物質が地表の比較的近くにまで上昇した。高温のマントル物質の上昇は父島列島、聟島列島、母島列島の小笠原群島が生み出されるきっかけとなった。 約4800万年前になると、沈み込んだ太平洋プレートによってマントルの浅い部分に水が提供されたことにより高温のマントル物質の融点が下がり、その結果マグネシウム分に富むマグマが生成された。生成されたマグマは無人岩(ボニナイト)と呼ばれる独特の成分のもので、まず現在の父島列島から聟島列島にかけての深海に、枕状溶岩などを比較的穏やかに噴出する海底火山が形成された。無人岩は現在父島列島と聟島列島に見られるが、プレートの沈み込み開始直後など限られた時期に生成されると考えられる無人岩はかなりまれな存在であり、現在地上で観察される小笠原群島の無人岩は全世界的に見ても最大のものと考えられる。そして火山活動の継続によって成長した海底火山は、浅海でストロンボリ式噴火を繰り返し、更に成長を続けた。南部の千尋岩では、高さ300mの断崖に父島火山の初期から最終期までの火成岩を見ることができる。 約4400万年前になると太平洋プレートの沈み込みが深くなったことによりマグマの組成が変化し、通常の島弧で見られるソレアイト質となった。この時期には現在の母島列島で溶岩流出や爆発的な火砕流の噴出を繰り返す火山活動が継続し、母島列島が形成された。そして4000万年前には火山フロントが後退することによって小笠原群島の火山活動は終息した。この頃には小笠原諸島は通常のプレート沈み込み帯となったと考えられる。火山活動が終息した小笠原群島では珊瑚礁が発達し、母島の石門、父島南西にある南島のような石灰岩地帯が形成された。 形成開始当初の小笠原群島は、現在のニューギニア付近の赤道直下にあったと推定されている。その後フィリピン海プレートに乗って少しずつ北西方向へと移動をしていった。約4000万年前に通常のプレート沈み込み帯となった小笠原諸島であったが、約3000万年前になると伊豆・小笠原・マリアナ島弧の分裂が始まった。そして約1500万年前には四国-パレスベラ海盆の形成により、沖ノ鳥島などが属する四国-パラオ海嶺が伊豆・小笠原・マリアナ島弧から分離した。この地殻変動によって小笠原群島は約3000万年前からは北西から北東方向へと移動方向が変わり、現在の位置に到達することになった。 このような複雑な成り立ちをしている小笠原群島は、その形成過程で海面下に没していた時期もあるのではと考えられている。小笠原群島がいつ頃から島であり続けているのかについてはまだはっきりと判明していないが、現在小笠原群島に生育する固有種の分子時計の解析から、種として分化して200-300万年が経過しているものが見られるため、少なくとも200-300万年前からは島として存続しているものと考えられている。後述する小笠原群島特有の乾性低木林の特性などから、かつては面積、標高とも大きかった島が侵食などによって小さくなり、現在の小笠原群島となったという仮説が提唱されている。
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