小国の発生とは? わかりやすく解説

小国の発生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:49 UTC 版)

ヤマト王権」の記事における「小国の発生」の解説

弥生時代にあっても、『後漢書』東夷伝107年の「倭国王帥升」の記述あるように、「倭」と称される一定の領域があり、「王」よばれる君主がいたことがわかる。ただし、その政治組織詳細不明であり、『魏志』倭人伝には「今使訳通ずる所三十国」の記載があることから、3世紀にいたるまで小国分立の状態がつづいたとみられるまた、小国相互政治的結合が必ずしも強固なものでなかったことは、『後漢書』の「桓霊の間、倭国大い乱れ更相攻伐して歴年主なし」の記述があることからも明らかであり、考古資料においても、その記述裏づけるように、周りに深い濠や土塁めぐらした環濠集落や、稲作不適な高所営まれ見張り的な機能有したと見える高地性集落造られ、墓に納められ遺体戦争によって死傷したことの明らかな人骨数多く出土している。縄文時代にはもっぱら小動物狩猟道具として用いられ石鏃も、弥生時代には大型化し、人間対象とする武器変容しており、小国間の抗争激しかったことがうかがえる墓制の面でみて、最も進んでいたのは山陰地方出雲地域において作られ四隅突出墳丘墓であって、後の古墳時代方墳前方後円墳原型となった思われる九州南部地下式横穴墓九州北部における甕棺墓中国地方における箱式石棺墓近畿地方日向宮崎県)における木棺墓など、それぞれの地域主流となる墓の形態持ち土坑墓の多い東日本では死者の骨を土器につめる再葬墓みられるなど、きわめて多様な地域色をもつ。方形の低い墳丘のまわりに溝をめぐらした方形周溝墓近畿地方から主として西日本各地広まりなかには規模大きなものも出現する故、各地有力な首長あらわれたことがうかがえる弥生時代における地域性また、近畿地方銅鐸瀬戸内地方銅剣九州地方銅戈中期)・銅矛中期-後期)など宝器として用いられる青銅器種類ちがいにあらわれている。

※この「小国の発生」の解説は、「ヤマト王権」の解説の一部です。
「小国の発生」を含む「ヤマト王権」の記事については、「ヤマト王権」の概要を参照ください。

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