専用岸壁建設とは? わかりやすく解説

専用岸壁建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:51 UTC 版)

翔鳳丸」の記事における「専用岸壁建設」の解説

翔鳳丸就航直前函館港には、1910年明治43年12月15日完成木造桟橋があり、桟橋上には、 1915年大正4年6月15日開設函館桟橋乗降場があって、連絡船接続列車発着していた。この木造桟橋には当時西面北面の2バースがあった。車両航送開始するため、この桟橋のすぐ南側に、1922年大正11年8月10日から、鉄筋コンクリート造専用岸壁2バース有する若松埠頭築造中で、木造桟橋撤去される予定であった1924年大正13年4月25日から、この木造桟橋西面バース使用停止とし、一部の客貨便は沖繋り戻し5月1日には函館桟橋乗降場閉鎖された。同年10月1日からは、築造中の若松埠頭先端寄り函館第2岸壁当時函館第1岸壁呼称)が一部完成したため、使用開始し木造桟橋使用廃止された。10月4日には、若松埠頭上に建設され鉄筋コンクリート3階建て連絡船待合室1階完成した1面2線の新し函館桟橋駅も使用開始された。翌1925年大正14年5月20日には、同岸壁可動橋竣工したため、5月21日より翔鳳丸型による試験車両航送開始され8月1日より正式に車両航送開始された。また6月1日からは手前側の函館第1岸壁当時函館第2岸壁呼称)の使用開始されたが、可動橋使用9月5日からで、10月14日以って若松埠頭築造工事完了した。 しかし、車両航送開始後より急増した函館駅構内貨車入換作業は、1928年昭和3年9月10日長輪線全通や、1930年昭和5年10月25日の上磯線の木古内への延伸開業でさらに拍車がかかり、これに対応する函館駅構内配線全面改良工事が、1928年昭和3年10月より開始された。その一環として1930年昭和5年11月11日には、函館桟橋ホーム函館駅本屋跨線橋まで延長され函館駅2乗降場と呼称される長いホームとなった。これに先立つ同年10月1日から函館桟橋発着列車廃止され全て函館駅発着となった一方青森側は、既に青森県国庫補助を受け、1915年大正4年6月以来工事進めていた大規模築港工事である青森港第1期修築工事付帯工事として、青森第2岸壁当時青森第1岸壁呼称)の築造工事が、青森県への委託工事として1920年大正9年4月1日起工1923年大正12年12月15日からは一部先行使用開始され、ここに青森側での旅客便、客貨便の直接着岸実現した1924年大正13年3月31日には通常岸壁として竣工し青森県から引き渡し受けた後、車載客船船尾係留するポケット部分可動橋追加建設し1925年大正14年4月25日竣工し同年5月21日からの試験車両航送使われた。なお青森第1岸壁当時青森第2岸壁呼称)は、1923年大正12年12月まで青函連絡船旅客用ハシケ岸壁として使われた第2船入澗を、さらに南西掘り込む形で築造され、1928年昭和3年8月11日岸壁完成し可動橋同年9月20日竣工10月から使用された。

※この「専用岸壁建設」の解説は、「翔鳳丸」の解説の一部です。
「専用岸壁建設」を含む「翔鳳丸」の記事については、「翔鳳丸」の概要を参照ください。

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